今週は、令和初の凶悪事件が、京都で起こった。
京アニという言葉を初めて聞いたが、そのインパクトは世界に及び、世界各地からお見舞いの言葉が寄せられている。
それにしても、凄い数の犠牲者である。
アニメという日本の文化遺産の啓蒙に情熱を燃やすクリエータたちの夢を奪っている。
犠牲者の皆様のご冥福をお祈りします。
仕事上恨みを買うことは殆どないと思われるが、一体何がそうさせたのだろうか?
今週の言葉は、老子より選んだ。
監視カメラが犯人の行動をもっと早くに察知できていれば、未然に防げたのかもしれない。スタンドで大量のガソリンを買い、台車で道路を移動するだけで、監視対象になるのはいうまでもない。それも数日前から、公園でぶらぶらし、京アニの周りを物色しているのだから。
天網は神様の眼と考えられるが、これが監視カメラに置き換わると、日本も怖い社会になる。
ひとついえることは、日本全体が無関心社会になっていることである。
他人が何かおかしなことをしてても、何も関心を持たない、我関せずという態度である。凶悪事件が起きてから、アパートでの暴力沙汰がニュースに出てくる。
車の暴走事故が頻発し、自転車まで歩道を暴走する。殺人事件も毎日どこかで起こっている。日本は銃社会ではないが、決して安全な社会ではない。
天網は、市民の監視の眼かもしれない。
この眼を国家が持ったのがお隣の中国で、国家にたてつく思想をもった国民を監視する。
日本では、市民の眼は自分に向いて、他人に向かない。
日本を安全な社会に保つのは天網という市民の眼であり、大事件になる前に芽を摘むシステムである。