夫婦

身の回りで見聞きしたこと、そして自分のこれまでの経験から、夫婦についての考えを述べてみたい。

夫婦というのは、人生を共にし、人生を楽しむための共同体といえる。

そのために、どんな男を夫に、どんな女を妻に迎えるかを先ず考える。

動物の世界では、一番強い男を選び、子孫繁栄する道を選ぶ。

人間の世界では、子孫繁栄の前に、先ず自分が老後まで安心して暮らせるかを考える。

年金問題が浮上している現在、やはり一番稼ぐ配偶者を選ぶというのも一つの手ではある。

しかしながら、人生金だけが目的ではない。

金よりも前に、配偶者と時間を共有して、人生を楽しむことが夫婦の目的である。

そう考えると、自分にないものを持っている相手を選ぶ事が大切になる。

自分が消極的なら相手は積極的な人、自分が楽観的なら相手は悲観的な人、自分がお調子者なら相手は堅実な人を選ぶことになる。

なぜかというと、自分にないものをもっている相手を尊敬することができる。

自分とは違う考えを持っている相手がいるから、人生の問題を多面的に考える事ができる。人生を楽しむという夫婦の共通目的に向かって、多面的な考えをぶつけ合って、結論に達する事が出来る。

社会性を磨くには、家庭内の議論が役立つ。

自分と反対の意見をもつ人間から、直に意見を聴く事ができ、それに耳を傾けることで、社会性が培われる。

議論のぶつかり合いの連続が、性格の不一致となり、離婚になる場合もある。

社会では性格の不一致は当たり前で、家庭内ではそれが許容できない。

従って、夫婦関係を保つには、柔軟性と許容性が一番大切になる。

社会に多様性が求められている今だからこそ、夫婦関係で柔軟性と許容性を磨けるというのは有り難い話である。

たとえ夫婦げんかにいたっても、夫婦の共通目的のために、どのようによりをもどそうか一生懸命考えるのも、大事なプロセスである。

性格も全く違う赤の他人が、夫婦となって生活を共にするのは矛盾をはらんだ選択のように見える。

しかしながら、人間は不完全な生き物で、自分に不足していることを相手によって補ってもらって初めて、客観的にものを考えられる、まともな生き物になるように思う。

独身者が聞いたら怒る話だが、配偶者が別にいなくても、自分に不足していることを補ってくれる人間はこの世にいっぱいいる。

そのような人間の教えを請えば、人生の選択は行える。

しかし、配偶者との生活には、その人間のあからさまな現実を知った上で、その人間と人生を楽しむという壮大な目的がある。

継続的な関係という意味で、自分を鍛えるチャンスでもある。