TaoChat@1008編集後記

この一週間は、足の痛みとの格闘だった。

先々週の土曜、最初足の裏に痛みを覚え、次の日には親指の付け根が腫れあがり、激痛が走った。月曜の大腸内視鏡検査では足をひきづって検査を受けた。

その夜は痛くて、何回も目を覚まし、まともに寝られなかった。翌朝整形外科に行き、X線と尿/血液検査を受け、痛み止め薬と湿布をもらった。痛風を疑われた。

しかし、尿酸値は通常値の範囲内だった。今痛みはいくらか楽になっている。

痛風なのか不明だが、足の痛みは今までに度々起こって、1,2週間で自然に治っていることを考えると痛風の可能性が一番高いとのこと。ネットで調べると、痛風発作が起きているときに尿酸値が高いとは限らないとのこと。尿酸結晶が生成される条件は高尿酸値だが、結晶が激痛を生むときの条件は、尿酸結晶が剥がれるときだそうで、高尿酸値ではない。酒好きで、魚卵好きの自分は、痛風の宿命を負わされているのでしょう。

痛風とうまく付き合いながら、人生を楽しみたいと思います。

今回の言葉は孟子の言葉をいただきました。

新型コロナとの戦いを見てきて、孟子の言葉の意味を味わいます。昔の人は、天の時を大事にしました。天の意志を見誤らなければ、物事うまく運ぶと考えたからです。易で占い、天の時を図りました。

しかし、いくら天の時に従っても、うまくいかないことが重なりました。どうしても、自然条件が戦いを支配しているようです。奇襲するには月の出ていない夜、城は山の上に築き、責めるには、水や火の力を借りる。人間が科学的に考えるきっかけとなった、地の利を利用する戦い方です。

新型コロナとの戦いなら、国境を封鎖したり、船舶ごと隔離してしまう方法。

しかし、どうしてもこれは無理を生じる。目的は感染を防ぐことなのに、隔離された集団の中で感染は広まっていく。隔離された人間は、自分は国家から見放されたと考える。そこで、人の和が重要になる。マスクの買占めや転売は、自分さえよければという考えの代表。人の和とは程遠い。

人の和は、個人個人の強い意志のもとで、感染を防ぐために何をすべきかを考え実行することである。こういう自律的な行動が、人の和を築いていく。

感染を防ぐには、感染したら他人と接触しないことで、感染していないなら、手洗いと人が密集する場所に行かないことである。意外とすべきことは単純である。