TaoChat@1216編集後記

今日は天気がよかったのと、駅南口の歯医者まで用事があり、歩いて駅まで行った。この一週間の出来事は、プライベートでは、歯のかぶせものが取れ、その治療に通ったのが大きい。数日前治療は終わったが、どうも歯の隙間がありそこに食べ物が詰まり、歯肉を刺激して痛みを思えるので、昨日見てもらい、結局かぶせものの作り直しとなった。昨日型とりは終えたが、病院から電話があり、型とりの一部を忘れていたとのことで、今日また歯科に行った。手際の悪さが今後の治療に一抹の不安を覚えさせる。歳をとって来ると衰えるのが、頭はもちろんのこと、他には足腰と歯である。歯が悪くなると食べ物が噛めなくなる。だから、歯の具合は気にかけざるをえない。茅ヶ崎にも歯医者は多いが、腕のよい医者を見つけるのはなかなか難しい。公のニュースでは、自民党の裏金問題で、政治倫理審査会が行われたが、関係者はパーティ券売り上げの会計には関与していないと言い訳をし、政治倫理の何が問われたのか、明らかにされなかった。無知で無口な国民を相手にすれば、政治家はどんな悪事もなせることを示したような事態である。まさに選挙の時に票をもらえれば、後は知らぬ存ぜぬを通せばよい。政治家は金のかからぬ政治を真剣に考えたことがあるのか? 年間数千万もらって、どんな活動をしているのか、国民に具体的な活動報告を提示すべきと考える。その活動実績をみて投票するのが筋ではないか。

今回の言葉は、菜根譚からいただいた。今回の裏金問題を語るにタイムリーな言葉を選びました。言葉の真意は、悪事はいずればれるもの、善行は目立たないように行うべしというもの。政治家はその逆を行く。自分の善行はできるだけ目立つようにし、悪事はばれないように隠れて行う。さらに悪いのは、たとえ自分の悪事がばれても、知らぬ存ぜぬを通し、責任の所在を明らかにしないこと。国民はいずれ悪事は忘れていくと高をくくる。今朝のYouTubeで驚いたのは、連続企業爆破容疑で亡くなられた桐島容疑者が、三菱重工爆破に関与しておらず、ひと一人殺さなかったことである。爆破行為は確かに悪いが、殺人は避けるような配慮があったことは、メディアでは全く報道されていない。隠れていた犯人がつかまったことだけが取りざたされているが、桐島容疑者には、良心の呵責はあったのは事実である。逃亡しているので、保険にも入れず、IDもなく、医者にも行けず、歯はぼろぼろ、胃がんの進行も止められなかった。死に直面して、自分の悪事は自分で明らかにするという態度は誉められてもよい。政治家は自分の悪事は最期まで明らかにせず、地獄に行くのだろう。今回の政治倫理審査会での答弁をみてそんな風に感じた。

TaoChat@1215編集後記

昨日は忙しく、編集後記は一日遅れました。今日は朝から寒く、一日雨で散歩は出来ず、会社の仕事の準備をしたり、ビデオを見たり、だらだらしていました。ビデオは、NHKの「天才ピアニスト 10年の空白を越えて」で、ブーニン氏の復帰コンサートを2年間密着したものです。左手が自由に動かなかったり、足を一部切断するという困難を困難を乗り越えるという話で、自分の演奏に満足しないながらも、少しずつ前に進む姿勢に感動しました。ブーニン氏はロシア出身で、19歳でショパンコンクールに優勝したのち、ドイツに亡命したピアニストで、日本人の奥さんをもらっています。復帰コンサートは日本で果たし、日本の聴衆に勇気をもらったと感想を述べています。これを見ても、ロシアは優れた芸術家を多く輩出しているにもかかわらず、おろかなことを何十年、何百年繰り返している、非常に情けない国であり続けていることがわかった。かつては宇宙開発の先頭に立ったが、今では月着陸に失敗するほど、落ちぶれている。

この一週間のニュースは、熊本県TSMC半導体工場が開所され、県内はバブル景気に沸いているというのが印象的だった。半導体産業は、かつて日本のお家産業だったが、今では台湾のメーカ頼みの感がある。半導体材料と製造機械で優位を保つが、最終製品のチップを作っていないと、どうしても買い叩かれる。地元の町民は黒船が来たと言っていた。やはり日本は黒船が来ないと、慌てないようだ。

今回の言葉は、論語よりいただいた。論語はたまに読むが、なかなかいいことが書いてある。孔子を輩出した中国ではとうに忘れられている。老子も輩出しているが、まだ老子の考えの方は民間に浸透している。孔子の教えと老子の教えを比較するために、今回の言葉を取り上げた。老子からすると、論語の説く、道徳は、国が乱れてこそ、その重要性が高まるように見える。道徳は社会の秩序を保つために導入されるからだ。老子は、親鳥と雛の関係を観察すれば、親は雛に何をすればよいかわかるという。自然の掟のなかに道は示される。雛が独り立ちできるまで、無償の愛を捧げる。しかし、独り立ちしたあとは、雛は親から離れる。独り立ちすることは自活することである。親鳥は、自活するための術を雛に教える。人間の社会では、独り立ちする術より、富と地位を高めるための術を教え込まれる。競争相手との和を保つために、道徳が持ち込まれる。

老子は、富や地位よりももっと大事なものがあると説く。それは与えられた生を全うすることである。生は当然自然から試練を与えられる。その試練を乗り越えるために、どう生きるを説く。それは水のように無形で柔軟に生きることだと教える。

論語のなかに、老子と対比できる箇所を見つけるのが楽しくなった。

風の丘

先日、孫息子のピアノ発表会で、ある少年が弾いていた曲に惹かれた。久石譲作曲の「風の丘」という曲である。なんという清清しいメロディだろう。でもそこに何かガラスのような繊細さが隠れている。いつか砕け散るものを抱えながら、成長していく少女の歌声が聞こえてくる。YouTubeでいろいろな方の演奏を聴いてみた。やはり、自分にはピアノの独奏があっている。Mei Shuhanさんのスローテンポの演奏が気に入っている。悲しさもメロディに含まれるので、聞いているとなぜか涙が出てくる。繊細さが大きな波にもまれ、次第にたくましくなっていく少女の姿が眼に浮かんでくる。残念ながら、「魔女の宅急便」という映画は見ていない。しかし、自分が思い浮かべた情景が、この映画のどこかに現れているとしたら、久石譲氏の音は素晴らしい表現力を持っていると思った。

TaoChat@1214編集後記

暖冬ということだが、今日はそれなりに寒い。明日はまた暖かくなるそうである。花粉が飛び始めているのか、くしゃみの回数が多くなり、眼もうるんでいる。今日も散歩に出かけたいところだが、迷っている。

この一週間はいろいろあった。日曜には、孫息子のピアノ発表会に行き、練習の成果に感動した。ひとつもつっかえずによく指が動かせるものだと感心した。演奏中は撮影禁止だということで、その場で録音アプリをダウンロードしてスマホで録音してプレゼントした。高齢者としてはスマホの威力に感動。翌日はe-Taxを利用してPCで確定申告をした。医療費控除を受けるため、書類作りが大変だった。診療や薬の領収書60枚ほどを手入力した。かみさんの分がほとんどだが、マイナポータルからダウンロードできるのは自分の分だけなので不便で仕方がない。結局、50000円納税することになった。働いている分、厚生年金は減額され、住民税や社会保険料も高くなっている。何のために働いているのかと問われれば、健康のためと答えるしかない。健康はお金では買えないので、働くことでそれが得られるのなら仕方がない。今週の読書は、通勤で読んでいた小川洋子さんの「ことり」(朝日文庫)を読みおえた。YouTubeの「人生に、文学を」オープン講座で小川さんが話された著書である。小鳥のことばがわかる兄弟の話だが、心温まる語りでお薦めしたい本である。寝床では、安部公房の「けものたちは故郷をめざす」を読んでいる。読み始めるとすぐに眠くなり、こちらはなかなか進まない。

今週の言葉は、西行法師の歌である。メルマガに書いたが、山木幸一著「西行の世界」で見つけた歌である。これは有名な歌らしい。小林秀雄氏も「西行」のなかで取り上げているそうである。「西行」は読んでいるはずだが、頭に残っていないので、味わいが足りないようだ。「西行の世界」では、いろいろな人間の解釈が載っていて面白い。西行の時代には、富士山も活火山であったようで、煙を吐いていたことがうかがわれる。その景色を思い浮かべるだけでも楽しい。今富士山は休火山だが、そのうちにまた噴火することもありそうである。関東ローム層は富士山の火山灰も入っているので、噴火したら、東京の首都機能は麻痺する可能性大である。だから首都機能は分散すべきといってたのに、という言葉が聞かれることがないのを願う限りである。富士の煙が流れるのを見て、自分の思いの行く方なしを歌うとは、なんと風流なことか。今だったら、新幹線の中でスマホに夢中となり、そのまま通過するのが落ちである。西行法師の旅に同行して、思いをたどれるというのも、歌を味わう楽しみといえる。そして、法師の思いと、今の自分の思いを重ねることもさらなる楽しみとなる。

TaoChat@1213編集後記

今日はよい天気で気持ちがよい。連休なのか、道路が混んでいる。車で家内を駅まで送りにいくとき、そのことに気付いた。メルマガの方はどの言葉を届けようか、ネタ本を探しに本箱を漁った。最終的には、「ゲーテ格言集」に行き着き、全頁を流し読みして、今回の言葉にたどり着く。これに関しては後ほど感想を述べたい。

この一週間の出来事は、週始めの初雪がプライベートでは印象的。火曜日は朝4:30起きで、防水のトレッキングシューズをはいて駅まで歩いていった。車道は雪は左程残っていなかったが、歩道には雪が残っていて融けているので歩きにくい。そのため、車の通らない車道のへりを歩いた。我が家の雪は今も残っている。屋根から落ちた雪が北側の道路に届き、それが融けないでいる。暖冬のこの冬いつまで残るのか楽しみである。

パレスチナの方は、イスラエルハマスの完全停戦案をネタニヤフは拒絶した。イスラエルは人質よりもハマスの絶滅を大事にする。人命よりも国の威信を大切にしている国であることを証明する。面白かったのは、ロシアの大統領選の話で、ウクライナ侵攻に反対している2候補の立候補を選管が却下した。要はプーチンの以外の立候補を認めず、彼ひとりが当選する結末が仕組まれる。ロシアに民主主義がないと世界にアピールしているようだ。

今回の言葉は、ゲーテよりいただいた。「ゲーテ格言集」を斜め読みすると、面白い言葉に行き当たる。「科学、自然、二元性について」の項目に、自然の言葉を見つけることができる。「美は、隠れた自然の法の現れである。」雪の結晶を見れば明らかである。種まきの言葉は「人生について」にあった。人間社会では、種まきと、取り入れとは別のひとであることが多い。数学の「フェルマーの最終定理」は、フェルマーが種まきをして、取り入れは350年後のことである。種まきすることは、価値ある目標を設定することである。価値がなければ、だれも取り入れを目指さない。だいそれた発明発見でなくても、個人的な人生においても、種まきの意義は大きい。苦しい生活のなかで子育てはかなわないと悩まず、まずは子供を持って育ててみるのも種まきのひとつである。子供の取り入れは最終的に社会の仕事である。それを忘れた日本は、今少子化の問題にぶちあたっている。種まきなしの取り入れはありえない。

 

TaoChat@1212編集後記

メルマガ配信した昨日は、時間が取れず、編集後記は今日になった。今日は東京では午後から雪がふるそうだが、湘南では天気がよくなりそうな空模様である。今朝新聞を見ていたら、コロナ感染者がまた増えているそうだ。東海地方にいる義母も96歳で介護施設でコロナ感染し、2週間ほどで元気に生還した。ワクチンのおかげで熱は出たものの、症状悪化は抑えられるようである。私もコロナ感染を避けるべく、通勤途上や、職場でもマスクをしている。この一週間のニュースは、海外ではアメリカがイラン軍への報復を行い、3人の米兵死者に対し、10倍返しの45人の死者を生み出している。ガザに対するイスラエルの100倍返しと同じ理屈である。力に対し力で応じている。しかし、人質は帰っておらず、ガザ市民の恨みは増すばかりである。禍根を残す戦は結局負け戦である。交渉で禍根を残さないように国土を決めれば、平和が戻ると思われるが、宗教対立が絡んでいるため、複雑化していると考えられる。日本は原爆を落とされてアメリカに負けたが、日本人に禍根は残っていない。もしGHQ天皇制を廃止していたら、禍根が残っていたかもしれない。宗教は絡んでいないが、国の伝統を無視する策には抵抗を感じるのは当然である。パレスチナの民はそもそもそこに住んでいて生活基盤をそこに置いていた。そこに突然他所から、欧米から力をもらったユダヤの民が押し寄せてきた。それがパレスチナの伝統を無視した策だった。どんな国民だって抵抗するのは当然である。その立場を理解せずに、力で押し切るのは横暴の何者でもない。

今回の言葉は老子からいただいた。老子は自然の掟を大事にする。自然界では、強者が弱者を食い尽くすことはしない。地上の最強の生き物だった、あの恐竜だって、気候変動に対し適応できなかった。自然界は持ちつ持たれつで、強者は弱者の恩恵をこうむって生き続けられたわけで、気候変動で弱者が消えると、弱者を食っていた強者も絶えることになった。平和のためには、仏教の教えが必要となる。自然界には強者も弱者もない。自然の掟を超える強者は存在しない。最強の独裁者にも自然死は訪れる。死のメカニズムは、独裁者の細胞のなかに組み込まれている。自然の掟が、独裁者の命を決めている。自然の掟を理解すると、自分が因縁によって生かされていることを自覚できる。

そのような自覚があれば、決して、弱者を排除するような対応は取れないはずである。老子の教えは、きわめて自然で当たり前の教えだが、力や富をそなえてくると途端に見えにくくなる教えでもある。

TaoChat@1211編集後記

歳が明けたと思っていたら、もう一月が終わろうとしている。能登地震インパクトが大きかった。今朝のYoutubeで、内田樹さんが、能登志賀原発でトラブルが起きていたのに、政府に隠そうとした姿勢がうかがわれると語っていた。そもそも総理が現地に急行しなかったのも不思議だった。自民党の政治資金隠し問題でアップアップしていたこともあるが、初動が遅れたのは明らかだった。災害が起きたときに、どう動くかで国の国民に対する姿勢が明らかになる。自衛隊の派遣も遅れ、災害レスキュー隊の派遣も遅れた。その割りに、内閣支持率は25%をキープし、自民党支持率も30%と他党を圧倒している。国民も政治批判する気も失せている状態である。

この一週間のニュースは、JR東日本の新幹線の架線トラブルと、JAXAの月面探査機のピンポイント着陸が印象的だった。架線トラブルの方は、架線を引っ張る錘を吊る鉄棒が破断したことが原因だった。目視ではOKだったそうだが、やはりX線で内部の亀裂を調べないとだめだと思う。月面探査機の方は、どのようにしてピンポイント着陸が可能になったのか興味がある。目標地点から55m外れていたそうだが、その精度は素晴らしい。個人的には、NHKの「魔改造の夜」が印象的だった。トイレのおもちゃを宙返りさせてきれいに着地させる技を競うものでした。参加したのは、東工大パナソニック、O社(中小企業)の3者。完成度の高かったのは、東工大で優勝した。何がよかったかというと、飛ぶ距離は及ばなかったが、着地がうまくいった点。パナソニックは、距離は出たが着地はだめで、目標レベルまでのギャップが大きいと感じました。東工大は、着地がうまくいっているので、距離を伸ばす対策さえできれば、課題はそう大きくないと感じました。O社は、最初は逆送し、2回目は動かずで、チャレンジ以前の問題のように思った。

メルマガの言葉は、列子より選びました。川合康三氏の「生と死のことば」(岩波新書)で見つけました。列子の文庫本は持っていましたが、積読でしたので、これを期に読むことにします。孔子と隠者の問答は荘子にも出てきますが、列子にもあるのは知らなかったです。列子道家の本なので、当時支配的であった儒学の考えにまさる考えとして、タオの思想をアピールしたものと考えられます。タオには、生きている間に生を楽しむ姿勢が旺盛なのが素敵です。今回の言葉でも、貧乏が強調されているので、金をかけないで人生を楽しむことになる。そのためには、自然界に目を向けることになる。自然界はうそをつきません。自然界にだまされたと思うときは、人間の目が思い込んだことになる。光の屈折で蜃気楼を見るように、人間の目がだまされることになる。列子の言葉でいいところは、死が終わりを決めている点です。苦しみも楽しみもすべてそこで幕が下りる。それまでどう楽しもうが個人の自由。そこがタオのいいところ。