TaoChat@1205編集後記

今日は暖かく穏やかな日である。朝から車を洗車する元気があった。昨夜は風が強く雨戸ががたがたいい、夜中に起こされたが、何とか睡眠時間はとれたようである。この一週間は、先週の土曜から熱が出始め、月曜まで下がらなかった。インフルが流行しているニュースがあったので、インフルかコロナに感染したようである。のどが痛く、何度ものどヌールでヨードをのどに塗った。なおりかけにせきが出てたんも出てきた。幸い火曜には平常に戻った。ここ数年風邪をひかなかったので、ふとんで寝る時間がふえた。世間でのビッグニュースは、大谷君のドジャーズ移籍で、1000億という契約金が話題になった。しかし、とうの本人は後払いでいいと提案し、チームのメンバーに気を使う優しさだけが目立った。お金より勝ちにこだわる、まさに勝負師のこだわりがあふれている。とにかく活躍の場面が待ち遠しい。一方日本の政治はお粗末の限りである。パーティ資金を裏金にして、検察ににらまれて、自民党派閥がびくついている。今年の漢字は税だそうだが、課税されない政治資金はみな裏金から回る。

今回の言葉は荘子よりいただいた。大谷君の二刀流という夢はメジャーで花開き、実績を出して、ドジャーズ入りを成し遂げた。これからが彼の力の見せ所になる。いわばまわりが超一流の選手であり、その中で切磋琢磨が可能となる。夢はドジャーズから、メジャーリーグへの貢献へとさらに膨らむ。荘子の言葉は、大夢は大覚から、である。夢から覚めた目を持たないと、夢を超えることはできない。夢の中だけで満足せず、夢と現実のギャップを常に見つめる。この姿勢が大事なようである。

TaoChat@1204編集後記

12月も第1週が過ぎ、あと3週間を切った。来年は我が家は年男・年女が総勢4名いる。私と家内と、長男と長男の長男が辰年ということになる。辰年で同じだが、性格はそれぞれ違っている。風邪にかかったらしく、くしゃみをして鼻水が出ている。熱はないが寒気がして体がだるい。この一週間はくしゃみと鼻水は続いているものの、寒気はなかった。大事に至らないことを願う。読書の方は、年間40冊を目標にしており、何とか達成できそうである。12月は、ワイルドの「幸福な王子」と江藤淳の「文学と私・戦後と私」を読み終えた。今は、谷川俊太郎の詩集と川上徹太郎の「日本のアウトサイダー」を読んでいる。読みたい本を片っ端から読んでいる。

この一週間のニュースは、自民党安倍派議員のキックバック問題が取りざたされている。政治にはお金がかかるといわれているが、かくし金で票を取り込もうとする根性が理解できない。ばれたら政治生命を失うのに、ばれないとたかをくくる。今回の言葉は、やめたいと思ってもなかなかやめられない人間に捧げられる。やめるときはすぱっとやめないといつまでもやめられない。自分も20歳から50歳までタバコを吸っていたが、政府がタバコ値上げを見境無く続けたので、ある日すぱっとやめてしまった。それでも、タバコを思わず吸ってしまった夢をいまも見ることがあり、その度に情けないと思う。菜根譚には、同感できることばが多く、これからも折を見て取り上げてゆきたい。昔も今も、人間の思いは変わらないことを毎度痛感する。老荘思想は、人間の生き方を自然に学ぶ姿勢にあふれ、水を生き方の根本にするところは、これまでの人生で何度も経験したことと同期し、その哲学は自分の誕生から死まで貫かれているように思う。誕生の際羊水のなかで衝撃から守られ、皮膚の水を失うことで、老化が進行する。死後は屍から水が消え、最後はカルシウムの粉末になる。老荘思想には、水といかにして付き合っていくかの真髄が書かれてるように思われる。

TaoChat@1203編集後記

12月の陽気にしては、そう寒さを感じない。通勤時もベストとスーツで寒さを凌ぐことができ、コートは要らない。今日も晴天で洗濯物を干して、一日が始まった。一昨日、職場の忘年会があった。コロナのこともあり、この職場に移って始めての飲み会だった。普段口を交わさない人とも話す機会があり、楽しく飲むことができた。木曜の飲みだったので、翌朝4時半起きで電車に乗るのはつらかったが、頭が起きてしまえば、耐えられる。帰宅後、コロナ接種の7回目をやった。今日は7時まで寝られたので、睡眠不測は解消したようだ。この一週間の出来事は、キッシンジャー氏と山田太一さんが亡くなった。キッシンジャー氏は100歳と長生きされたが、日中関係正常化をリードした貢献は大きい。ユダヤ人の率直さは、中国からも信頼できる男とみなされ、歴代米大統領よりも信頼度は高かったようだ。今回のガザ問題のコメントを聞きたかったが、残念である。山田太一さんは、ドラマを見ていなかったので、名前だけ知っていたに過ぎない。創価学会池田大作氏の死も大きい。宗教団体が政党を持っているのは、創価学会だけである。創価学会は昔は、他の宗教を邪宗とよび、勧誘や献金がしつこかったが、今はそのいかがわしさは表に表れていない。池田大作氏のたがは消えて、誰が創価学会をまとめていくのか興味がわくところでもある。プライベートでは、オスカー・ワイルドの童話(幸福の王子)を買い電車で読み、寝床では、江藤淳氏の「文学と私・戦後と私」を読んでいる。ワイルドの童話は、「幸福の王子」は絵本で読んでいたが、訳で読んだのは始めてである。彼の童話は読んでいて、胸が熱くなる。大人向けの童話かも知れない。トルストイの童話と並んで傑作である。江藤淳氏のエッセイの方は、ダーキイという犬との付き合いの話を今読んでいる。彼の文章は読みやすい。文章が短いので、寝床のなかで読むのに適している。

今回の言葉は、忘年会がらみで唐詩をまた選んだ。有名な詩らしいが自分は知らなかった。五言なので、起承転結で進み、酒を勧める理由がちゃんと書かれている。客が来て、大事な金杯を出してきて酒を勧める。杯は大きく、なみなみを注いだ酒を、遠慮せず飲み干してくれという。勧められた客の顔は浮かばないが、迎える主人としては、たっぷり時間をかけて飲んでくれという気持ちを伝えたかったようだ。忘年会の一気飲みとは違う。主人は、久しぶりに会った客と杯を酌み交わす。今年交わした杯を来年酌み交わせるとは限らない。重い病にかかって命を落とすか、急に勃発した戦争に行かなければならないかもしれない。今の時代でも、コロナ感染で落命するとか、ウクライナやガザでの戦いに召集されることがある。それを、花が咲くこともあれば、風雨にさらされることもあると、優しい詩的な表現でまとめる。君と一緒に酒を飲む機会だって、次いつになるかはわからない。だから、いまこのときを大事にしようという。人生は別れに満ちていると究極の思いを客と共有したいという。会社にいたって、明日会社がつぶれるかもしれない、老いた親の介護で会社を辞めることもあるかもしれない。会えるときにできることをする。これが大事な生き方なようだ。

TaoChat@1202編集後記

今日から寒波が訪れるという予報があり身構えていたが、寒さはそれほどでもない。とはいえ部屋はヒーターで温めている。空は曇り空なので、気温は上がりそうもない。家内から、夕食の献立を考えておくようにと言われたので、カレーでも作ろうかと思っている。この一週間の出来事は、伊集院静氏の死去は非常に残念です。日経の朝刊にも紹介記事がかなりのスペースを割いて書かれていた。高樹のぶ子氏が、山口県防府市でおなじふるさとだということを書かれていた。自伝小説の「いねむり先生」を読みました。筋が通っていて、かっこよさで目立つ小説家でした。グローバルでは、フェイク画像が氾濫していて、何が本物か見分けがつかない事態になっているのがニュースになっていました。Seeing is believing.であり、現場で見た目を信じるしかありません。イスラエルやガザに行って、現状を目にしないと確かなことはわかりません。

今回の言葉は、李白の詩をお届けしました。詩を読むことは、追体験することです。俳句もまたしかり。短い言葉からイメージを膨らませて、作者の思いを追体験することです。月を眺めて故郷を思うことなんですが、月の光をどのように見いだすかがポイントのようです。李白は、きっと眠れずにベッドの上ですわっていたのでしょう。するとふとベッドの前に月の光が射しこんでいるのに気付く。外の見ると、まるで霜が降りているように一面が白く照らされている。そして月を見上げて、故郷で見た月を思い出す。智恵子抄の智恵子は東京には空がないといった。ほんとうの空はふるさとにあるといった。空を見上げると、時間をさかのぼることができる。いつどこにいても、空の景色は変わらない。空に輝く星を眺めると、大航海時代の船乗りになることもできる。いつも同じ場所に輝く星は、方角を教えてくれる。李白の詩は、そんな追体験の題材になっているようである。

TaoChat@1201編集後記

今日は11月23日の勤労感謝の日です。先週土曜にメルマガを配信後、翌日の台湾旅行に向け、スマホにe-simをダウンロードして、APN設定ですったもんだして、編集後記の時間が取れませんでした。e-sim初体験のため、いろいろわからないことがあり、確かめるにも、e-sim販売業者とのコンタクトは、LINEと電子メールだけで、回答に時間がかかってしまいました。スマホメーカーのoppoのお客様センターにもCHATでコンタクトしましたが解決できず、最終的には、自分で解決したことになります。問題は、スマホのモバイルネット画面で、e-sim表示が出なかったことです。oppoのお客様センターの回答は、e-simにダウンロード失敗したというものでした。しかし、実際はダウンロードに成功しており、それでもe-sim表示は出ませんでした。e-sim販売業者のアドバイスは、日本で使うsimをスロットから抜いて、再ダウンロードするというものでしたが、QRコードが誤りというメッセージが出てお手上げでした。2回ダウンロードはできないということなので、e-simのダウンロードには成功したと判断しました。そこで、日本で使うsimの場所をスロット1から2に移して、e-simを有効化して、e-simをONしたところ、e-sim表示が現れ、それをクリックすると、APN設定画面が現れ、うまくいったと悟りました。結局、e-simに置き換わるスロットはスロット2だったということになります。現地で、データローミングをONして、APNを入力したら、即ネットは開通しました。台湾旅行から一昨日の夜遅く帰ったので、本日の編集後記になりました。台湾旅行の感想は別途ブログにアップしようと思います。

今回の言葉は、論語からいただきました。孔子は、人間が生きていく上で大切な要素を四つ挙げています。文行忠信。文は学びです。学びの前に、好奇心が必要です。simを挿さなくても使えるe-simはどんなものかという興味があり、いろいろ調べてみたのが文です。そして、実際にAmazonで3日有効のe-simを購入して、スマホにダウンロードしたのが行です。とにかく、e-sim販売業者のアドバイスを信じて、いろいろ試したのが忠です。自分の心のうちを素直に打ち明け、業者を信じ、真摯にアドバイスに従いました。これが信です。結果はうまくいきませんでしたが、結果の意味することを考え、アドバイスがヒントとなり、日本で使うsimの場所を変えたらうまくいきました。最終日に突然ネットに繋がらなくなるトラブルに遭いましたが、LINEでe-sim販売業者にメッセージを送ったところ、台湾の通信業者のネットトラブルというメッセージがあり、あわてずにすみました。信をもって他者にあたれば、信が自分に還って来る体験をしました。論語の言葉通りの経験を台湾でするとは思いませんでした。旅行だけでなく、毎日の日常で、文行忠信のサイクルは絶えず回っていると思います。

TaoChat@1200編集後記

今日は肌寒くセーターを着て、PCに向かっています。前回のブログで言い忘れていたことがあります。阪神日本シリーズ優勝おめでとうございますというメッセージです。岡田監督の笑顔が忘れられません。とにかくしぶといタイガースでした。ピンチは何回あったか数えられません。しかし、チーム一丸となって乗り切ったのは素晴らしかった。この一週間のニュースは、イスラエルのガザ侵攻で、一日4時間の戦闘休止がアメリカ主導で行われることになった。これがどんな影響があるのか不明だが、人質救出のための時間稼ぎなのかもしれない。休止時間の間のハマスの行動を監視していれば、どこに人質がいるかわかるのかもしれない。とにかくガザ地区パレスチナ人(特に子供)の死者が急増しており、停戦の足がかりを見つけるのが先決であろう。個人的な一週間は、高校時代のクラスメートとのZoom会と通勤と読書で終わった。読書の方は、長田弘著の「なつかしい時間」を読み終え、伊達宗行氏の「極限の科学」(講談社ブルーバックス)を読み始めた。どちらも本棚に眠っていたもの。メルマガの言葉は、「なつかしい時間」からいただいた。「極限の科学」の方は意外と面白く、物質も極限状態に置かれると、性質が激変することがわかった。特に超高圧と強磁場下での物性は、宇宙の極限物性につながり謎めいている。まだわかっていないことを読むのが楽しい。今回の言葉は、樹に関する言葉である。長田弘氏は詩人なので、言葉遣いが詩的で、いろいろな言いかえが随所にあり、読むのがちょっと苦労する。本に関する発言も多く、本好きの自分としては共感するところが多かった。特に、「読まない読書」というエッセイはなるほどと思った。読書というのは本を読むことではなく、本との付き合い方の流儀という。まさに、本棚に眠っていた本を10年ぶりに取り出し、ページをめくるというのも、ひとつの流儀だと思った。ワインみたいに寝かせておいて、味わえる態度が整ったころに読み始める。本が手元になければ、そういう読み方はできない。よく考えると、自分の書斎はワインセラーのように思えてきた。樹に関する言葉は、「樹が語ること」にあった。老子のように、自然の中の樹から学べるものは多い。その経験を日常生活のなかで体験することがつい最近あったので、長田氏の意見もなるほどと思った。似たような考えを本で出合えるというのも、本を読む楽しみだと感じた。そのような機会を求めて、毎日通勤と就寝前に本をめくっている。これは電子本ではなく、紙の本でないと味わえない感覚である。読みながら眠ってしまうことが多く、電子本では対応できない。

 

TaoChat@1199編集後記

今年もあと2ヶ月を切った。文化の日には、東京都現代美術館に孫娘と一緒に行き、デイヴィッド・ホックニー展を見て、帰りに深川江戸資料館に寄った。ホックニー展の方は、11/5で終わりのためか、非常に混んでいた。ホックニー氏のことはまったく知らなかったが、ハンチングをかぶり、チェックのブレザーを着て、タバコをくゆらす、愛嬌のあるおじいちゃんという風貌である。絵がカラフルで見ていて気持ちが明るくなる。その後で、横尾忠則の特集展示を見た。横尾氏の絵は、水を主題にしており、赤のインパクトがあり、幻想の世界に引き込まれていくように感じた。そして、昨日は昼から、高田馬場で高校のクラス会があり、旧交を温めた。この歳になると鬼籍に入る人間も増えてくる。12年前に亡くなった友人の名前が名簿に載っていた。風のたよりで亡くなった事を知り、あわてて名簿に載せたそうだ。というわけで編集後記は一日遅れとなりました。この一週間の出来事は、ガザの病院をイスラエル空爆し、多くの民衆が亡くなった。ガザの病人にハマスが立てこもっているというのがイスラエルの言い分である。

ハマスを殺すなら、民間人の抹殺もいとわないという、イスラエルの論理に対し、世界中から非難が集まっているにもかかわらず。イスラエルは、人質も犠牲になっても、ハマスを殺すことにやっきになっている。150人の国連の職員すら、攻撃の犠牲になっている。国連に対しても、建国の恩を爆殺というあだで返している。あんなに避難しろといっているのに、逃げないのが悪いといっているようだ。ガザ市民の人権保護のために残っているのに問答無用である。アメリカは表面的には停戦を求めるが、制裁を科すにまではいたっていない。

今回の言葉も、老子よりいただいた。今回の世界的な危機に、老子の言葉ほど活きる言葉は無い。今のイスラエルほど、怨念に取り付かれた国はない。あの大虐殺を受けたドイツに対しても、これほどの怨念を示したことは無かった。まるでパレスチナに対し、自らがナチスになったような態度である。ユダヤ人を助けるものもユダヤ人とみなす態度である。「大怨を和すれば必ず余怨あり」とはよくいったものである。大怨とはパレスチナイスラエルにより土地を追われた怨みである。イスラエルは、オスロ合意で和解したように見せかけ、それを無視して入植地を増やし、余怨を更なる大怨に変えた。そして今度は、無差別爆撃でガザの子供を殺し、怨みを持つ人間ごと抹殺しようとする。これではどちらが鬼畜かわからない。今回の言葉で老子が説くのは、矛をおさめる勇気を持つものが本当の勝者という。それになりえるのか、世界中が見守っている。