TaoChat@1085編集後記

今日は朝から暑い。もう残暑の時候なんでしょうね。スタジアムで競技されているパラリンピックの選手たちにはお疲れ様と申し上げたいです。午前中は歯医者に行き、歯石取りをしてもらい、午後にこのブログを書いています。

この1週間は、職場の同じ居室でコロナ感染者が出てしまい、身近に感染の波が迫っていることを実感しました。今や濃厚接触者をフォローすることは過去の出来事になっています。対策は、マスクやアルコール消毒、そして密にならないようにするだけで、どこで感染するかわからないとあきらめています。少なくともワクチン接種だけはして重症化を防ぐ以外に手立てはありません。2回のワクチン接種をしても亡くなる方が東京で2人おられたというニュースを聞くと、菅首相のワクチン接種すれば大丈夫というアナウンスも空しく響きます。通勤中に今読んでいる本は、「正法眼蔵入門」(角川ソフィア文庫)です。道元の、悟りと修行は同時に進行するという教えにおぼろげに共感しながら少しずつ進んでいます。人生の毎日が修行なら、日々何かしらの悟りにめぐり合うのもこれ自然なことだと思います。

今回の言葉は、サン・テグジュペリの「人間の土地」から選びました。サン・テグジュペリの一生は、飛行機に乗って郵便を運ぶ仕事をしていましたが、第2次世界大戦で従軍し、空の彼方に消えました。残した著作は、その経験を活かした独自の哲学で貫かれています。完成は余分なものを削除して、もうこれ以上削れないところで顕現する。まるで、老子を読んだひとの言葉のようです。老子をひも解けば、第45章に「大成は欠くるがごとく、その用はすたれず」とある。本当の完成はどこか抜けているところがあっても、その機能は決して衰えることがない。どんな装置でも、余分な機能を削ぎ落としていくと、これで大丈夫かなと心配になるレベルに行き着く。しかし実際に使ってみると、何ら問題なく期待した機能は果たされている。これが本当に完成度の高い装置といえる。これは装置というハードだけではなく、ソフトにも言えることだと思う。