TaoChat@1024編集後記

梅雨入りらしい、むしむしとした日が続いている。

今朝は曇り空だが、そのうち日が射す気配である。

この一週間の出来事は、河井元法務大臣夫婦が逮捕されてから、買収されたことを告白する政治家がたくさん出てきたことが印象的でした。橋元弁護士曰く、買収したほうも買収されたほうも罰せられ、政治生命を失うので、自分で買収されたことを告白することはありえない。そこには何らかの司法取引があるのだろうと。更に現首相からよろしくと言われた方もいる。

先週のブログで、首相の任命責任を問うたが、それどころではなく、首相の意を忖度して金をばら撒いていたとすると、安倍一強政治の行き着くところにとうとう至ってしまったという感を持たざるを得ない。この件は首相への忖度が及ばない司法の力で徹底解明をお願いするしかない。

今回の言葉は、徒然草から選んだ。

生き方は、死に方の選択から決まってくるという話である。

この考えは良寛さんも持っていたと、つい最近中野孝次さんの本から知った。

徒然草を引っ張り出して第九十三段を見ると、確かに蛍光ペンでマーキングしていたので、二十年前に読んだときも心に響いた箇所であったようだ。

中野孝次さんは清貧の思想で有名だが、良寛さんの心の遍歴をたどった本も書かれている。中野さん曰く、良寛さんも、不自由というマイナスの状態の中で、死という無と向き合っていたと書かれている。(風の良寛、ページ201)

無こそいのちの源泉で、無と向き合うからこそ、今この生を楽しむことができる。

日本の政治に一番抜けているのは、潔さだと思った。

政治家が死ぬとき、あの人は日本のためにこういう大きなことをやったというものがないとだめだと思う。すべてを犠牲にしても、大きなことを成し遂げるために必死にやった。そういうものが今の政治にはまったく感じられない。

国民に金をばら撒き、一時の安堵を求めるだけでは三流である。