週末はいろいろやることが多く、編集後記は後回しになった。
幸い本日、職場が創立記念日で休みとなり、書く時間を得た。
日和がよく、12月にしては暖かく、散歩の時間も得た。
歳をとってくると涙もろくなり、TVやネットの映像を見て感極まるとうるうるくる。
GACCOで、広島被爆者の体験談を聞き、被災直後の惨状を思い浮かべただけで、涙が止まらなくなった。
今回の言葉は、禅語を探していて行き当たった。
ことわざにもなっているらしいが、普書の言葉ということである。
ピエール瀧さんや沢尻さんが、違法薬物に手を出し、芸能界から永久追放するしないのと議論がされる。まったく曇りがない人間はいるといえばそれは嘘である。
どんな人間でも一度や二度、取り返しのつかない過ちを犯している。
大事なのは、その後に、世の中のためにどのような時間を費やしたかで、人間の価値が決まるという、大切な言葉が今回の言葉である。
自分の身を正さずに、同じ過ちを何回も繰り返す人もいる。
もりかけ問題、それに桜を見る会と、本来なら自分の身を正し、へんな誤解をさけるのが政治家としてあるべき姿である。
悲しいかな、安倍さんにはそれが足りない。
過去に華々しい経歴があっても、死ぬまで何を志して何を行ったのかが、その人の価値を決める。
アインシュタインは、E=MC**2を見出し、核分裂により質量から巨大なエネルギーを引き出せると唱えた。原子爆弾の可能性を導いたが、それが非戦闘員たる民衆の大量虐殺に使用されるとは考えていなかった。
彼は死ぬまで、核兵器開発を誘導したことを後悔し、核兵器廃絶運動に心血を注いだ。
過ちを犯したことに悩む時間はない。
同じ過ちを再び犯す事がないように、死ぬまでに働きかけることがその人間に課せられた使命ともいえる。
大きい過ち、小さい過ちとひとそれぞれ違うけれど、同じ過ちを繰り返すほど、愚かなことはない。