今日は、雨も降り寒い一日になりそうである。
今週は、アフガンから悲しいニュースが飛び込んだ。
中村哲医師が、12月4日、現地で志なかばで凶弾に倒れた。
何故なんだという思いがやまない。
アフガンの平和を願って行ってきた支援活動が、アフガンの国益に反するというならまだしも。
アフガンの国家とか言う前に、そこで暮らす人の心の潤いを取り戻す事が先決と考えたのが中村さんだった。
自分の生命をかえりみず、思いの貫徹に心血を注いだ氏の行動は、棺に蓋するまで事をなしたことになる。
新聞でご家族の言葉をうかがうと、いずれ来る日だと覚悟されたようだ。
アフガンへの強い思いの原点は何だったのか?
今回の言葉である、蕪村の句にその思いを見出した。
アフガンの現状は、例えて言えば、冬木立である。
米軍がタリバンと合意し撤退し、タリバンに加えイスラム国の台頭で、治安は劣悪を極めている。その状況下で人道支援を行うことは、死と向き合って仕事をすることである。
その中で一番苦しむのは、現地のアフガンの市民である。
その苦しみに寄り添い、少しでもその苦しみを和らげようと奔走したのが、中村さんである。
冬木立であっても、その内面には、温かい生命の血が通っている。
蕪村の句は、自然の成り立ちへの感動を句に詠んだ。
同じ感動を、中村さんも味わったに違いない。
荒涼たるアフガンの現状の内側には、救いの手が宿っていることを見出したのである。
砂漠の地に水を通し緑を復活させ潤いをもたらせば、国民の心は再生すると考えた。
蕪村の句は、中村さんの思いを表現しているかも知れないと直観した。
この直観は外れているかもしれないが、私の中では不思議と通底する。