TaoChat@1134編集後記

土曜朝にメルマガを配信後、庭の木を切り始めたため、編集後記は今日月曜になってしまった。土曜は広島原爆の日なので、平和祈念式典で黙祷したあとのメルマガ原稿作成となった。今年の関係者挨拶は、どれも切れがよかった。ウクライナでの核使用の脅しが有り、核兵器禁止条約の締約国会議が6月末に行なわれたこともある。国連事務総長の出席も十何年ぶりかである。日本が借りている核の傘はいつまで有効なのか? この一週間の出来事は、個人的には村上春樹氏の「遠い太鼓」を読み終わり、「遠い太鼓」で言及した、「ノルウェイの森」を図書館で借りてきて読み始めた。「遠い太鼓」は、氏がイタリアを拠点として、ギリシアやヨーロッパ各地での生活を綴ったもので、氏の日常を垣間見る事ができる。「ノルウェイの森」がこれほどヒットするとは思わなかったとか、一番リラックスして書いたのは、「ダンス・ダンス・ダンス」だったとか、素直な感想を述べている。実際に「ノルウェイの森」を読み始めると、ワタナベ君の聞いた音楽は、自分の聞いた音楽と重なる。その音楽を聞いた日々のことが思い出されるので、懐かしさを感じながら読める小説だ。

明日は長崎原爆の日。人間に対し、原爆を2回使ったアメリカの罪は大きい。原爆が神の与えた兵器なら、それが意味するのは、人間はかくも愚かな行為を繰り返す動物だと自覚させたことにある。バベルの塔では言葉を奪ったが、原爆では人類の存続に終止符を打つ。最後の審判では全員が地獄に堕ちる。核開発は愚か者のすることだが、それを許す者も愚か者となる。愚か者はすべて地獄に堕ちる。

今回の言葉は、老子からいただいた。兵は不祥の器。兵は武器だが、武器が核兵器になると、あっさり使うことすらままならなくなる。日本で2回人体実験をした結果、核兵器が人類滅亡の導火線になることをアメリカは確信したからである。核保有国は神から与えられた悪魔の兵器を脅しの道具としてのみ使う事ができる。核兵器が使われる対象は非核保有国である。その理由は、核による反撃の可能性がないからである。だからこそ、核の傘にすがろうとする。特に日本は被爆体験国であり、核の恐ろしさを知る国でもある。核の傘にすがりつつ、核廃絶を目指す国でもある。いずれにしても愚か者であることを自認しつつ、自国の安全を守る国を一貫する。