先週末は、東北3大祭りツアに出かけ、編集後記はお休みしました。
東北の3大祭りは、秋田の竿灯祭り、青森のねぶた祭り、そして、山形の花笠祭りです。いずれも、ツア参加で桟敷席で見る事ができ、祭りと一体になる事が出来、感動的でした。
祭りの趣旨は、七夕で、先祖の魂と再会し、その供養とともに、五穀豊穣を祈る祭りのように思いました。
竿灯祭りの提灯には、七夕という字が記されていました。
個人的には、秋田の竿灯祭りが一番印象的でした。
提灯には、本物のろうそくが灯され、提灯には七夕の字が記され、その多数の提灯をつるす一本の竹をしならせながら、道を練り歩く。
提灯の灯火が、祖先の魂であるかのように、大きく揺らぎながら、われわれを見守ってくれるような姿を呈している。
日本の古来の文化が、祭りとして継承されているという実感を持ちました。
今回の言葉は、芭蕉の蝉の句です。
蝉の声は、私に魂のやすらぎを与えてくれます。
その理由は、命の大切さを身を以って、われわれに教えてくれる叫びであるからです。
芭蕉も、蝉の存在は、「やがて死ぬ存在」だと認識しています。
しかし、その存在であるにも関わらず、死の直前まで、声をはりあげて、志を遂げようとする、生き物としてりっぱな存在であることに、芭蕉は気づいています。
生には限りがあるのは無常迅速で尽きますが、短い時間であっても、懸命に志を遂げようとする蝉のその姿勢には見習うべきものがある。
芭蕉の句にはその思いが溢れています。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」という句につながる思いです。
枯野ですから季節は冬です。
しかし、残りわずかな命の中で、耳にしたのは蝉の声だったかもしれません。
蝉の声を聞きながら幽玄の世界に引き込まれ、志を遂げようとする夢は果てしなく続く。
そんな妄想がふと頭をよぎります。