無人タクシー

今朝の日経新聞に、無人タクシーの実証実験の記事が載っていました。

自動運転の先に、無人タクシーの世界がやってくるのはある程度予測がつきます。

深夜タクシーの運転手が、酔っ払いに絡まれて暴行を受けたり、売上金を強盗に襲われたりする事件がありますから、無人になれば安心です。

運転手にとって不安なのは職を奪われることですが、無人タクシーにはまだまだ課題が大きそうです。

呼び寄せは、ウーバーみたいにスマホで、居場所を配車センターに連絡して、呼ぶ事ができます。支払いは現金ではなく、スマホ決済かカードですることになるんでしょう。

無人タクシーはハンドルはなく、乗客が勝手に操作できないような仕組みになっていると思われます。それに、途中で乗客が勝手に降りないように、目的地までは、ドアはロックされるのでしょう。

料金は前払い制でもいいのですが、道路の混雑状況でルート変更もあるので、走行距離の確定は、目的地に着くまでできません。

従って、乗客は目的地まで車に乗せていなくてはなりません。

乗車してからのルート変更を許容するかは、システム次第です。

配車センターは予約に応じて、次の客をピックアップするのに最適な車を配車するので、ルート変更に対応できるかは、システムの融通性に依存します。

大きな問題は、無人タクシーが事故を起こした場合です。

加害事故と被害事故がありますが、いずれも場合も、乗客が負傷した場合の応急措置と賠償問題です。事故現場に判断できる人間がいないので、車に取り付けたドライブレコーダやセンサーをもとに措置を取らなくてはなりません。

こうなると、乗客の心拍数や血圧や症状をセンサーでモニターする必要があります。

個人情報の関係上、ユーザーと契約を結んで、責任関係を明らかにしなければ、乗車できないようになると思われます。

こういった課題をすべて解決しないと実用化はされないので、タクシの運転手が職を奪われるのは大分先になると思われます。

新聞記事ひとつでいろいろ予測してみるのは、なかなか面白いことです。

TaoChat@902編集後記

ピョンチャン五輪もあっという間に終わりそうです。

金メダルを3個も取れて、何とか盛り上がったようです。

スポーツ選手は、結果を出さないと評価されません。

メダルを取れた人はホッとしたことでしょう。

実感としては、メダルに向けた日々頑張った練習の方が頭に残っているのでしょう。

あきらめずにやってきた事が実を結ぶ。

そんなことが選手のインタビューからうかがわれます。

今回は、論語の言葉を選びました。

われわれの殆どが、なかなか実を結ばない人生を送ってきました。

それであきらめていいのか?と孔子は言っているようです。

苗としてスタートしても、芽を出さない人もいる。

芽を出しても、実らない人もいる。

そこで言葉が終わりますが、それであきらめていいのか?と続かないと、身も蓋もない。なぜなら、実らない人のほうが圧倒的に多いから。

ところが、日々の練習で、小さな実は一杯結んでいる。

だから、日々の練習が続くわけです。

しかし、われわれは大きな実を目指しているので、努力が実らないとがっかりするのです。五輪選手なら、メダル獲得です。

人生はマラソンですから、最初から大きな成功を目指すと、身が持ちません。

小さな結実を積み重ねた果てに大きな成功はやってきます。

従って、高齢になっても、日々の努力を繰り返すことは、無駄ではありません。

恐らく、努力の途中で果てることになります。

それでも、人生に後悔しないように生きる事が人間の宿命のようです。

まさに葛飾北斎の生き方ですね。

糖質ダイエット

ご飯好き、麺類好き、ピザ好き、お好み焼き好き、おやき好き、パン好きな自分はとても糖質ダイエットはできない。

昼食で使う食堂で、どんぶり飯を出すので、ご飯食べすぎとなり、この一年で3,4キロばかり太り、先月の人間ドックでメタボ認定を受けた。というか、ここ10年はメタボ認定続きである。

歳をとると、採ったエネルギーはよく身につくようだ。

エネルギーを消費するのは、毎日の通勤と散歩くらいである。

毎日の通勤と散歩は、この一年変わらないので、摂取エネルギーが増えたため、太ったに違いない。朝食はトーストにヨーグルトにコーヒーで固定している。

食堂を使う前は、コンビニでおにぎり2個とサラダを買っていたので、糖質はおにぎり2個の飯だった。それがどんぶり飯になり糖質のとりすぎとなった。

ということで、多少ダイエットして、これ以上体重を増やさないようにするという新たな目標ができた。

母の家系が太り気味の人が多く、自分も気をつけていた。最近身近なひとが、糖質ダイエットで数ヶ月で20キロ減量した。糖質ダイエットしている芸能人はよくいる。米はこの10年食べていないというGACKTさん。肉と大豆と野菜で生命をつないでいる。要は人類が農耕社会を形成し、米や小麦を栽培して、安定したエネルギー摂取を行うことができたという経緯がある。糖質ダイエットは、狩猟社会の食生活に戻ることらしい。食べられるのは、野原の草と森の木の実やきのこ。それに狩りで捕まえた動物や魚。

ハングリー精神旺盛の人間は、糖質ダイエットに向いているらしい。

さて自分はどうしてやせるのか? とりあえず、運動量を増やして、エネルギー消費を増し、どんぶり飯を半分にする日を週2日設けるという策をこの一年続けることにする。一気に制限するのは、リバウンドを生む結果になる。少しずつ減らして、効果をモニターすることにしたい。

 

後悔しても始まらない

メルマガで紹介できなかったゲーテの言葉です。

新潮文庫の「ゲーテ格言集」は、安くてお奨めの本です。

和訳がいいのか、すらすら頭に入ってくる。

後悔しても始まらないことをうまく表現している。

「あせることは何の役にも立たない。

後悔はなおさら役に立たない。

前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る。」

気持ちのあせりと後悔は、「再生産」されるという。

日常何度も経験します。

気持ちがあせると、注意心が欠け、あやまちを増すことになる。

高齢者相手の詐欺師が使う手です。

息子さんが事故を起こし、至急訴訟費用が必要になったと電話してくる。

高齢者の気持ちをあせらせ、大金を振り込んだり、自分でお金をもっていったりする。落ち着いていれば、息子に再度確認すると電話を切れるはず。

後悔のほうは、熟年離婚や定年離婚。

子育てが終わり、一息つくと自分の人生を回想する時間ができてくる。相手の選び違いが、こんな人生を引き起こしたと後悔する。そうすると、もっとよい夫と結婚していたら、もっとよい人生が送れたかもしれないと新たな後悔が生まれる。

後悔しても何の役にも立たない。大事なのは、これから残った人生をどう過ごすかということ。過去は取り返せないが、未来は作っていける。思い通りにならないかもしれないが、自分の意思が反映できる。

ゲーテさんもいろんな後悔をしてきたんだろうなと彼の言葉から推し量れる。

この言葉、前向きでいいと思いませんか。

 

TaoChat@901編集後記

メルマガが900号を超え、1000号に向け気合が今一度入りました。

創刊したのが10年以上前なので、よく続いたなと自分でも驚くほどです。

その理由を考えると、老荘思想によるところが大きかったと感慨をあらたにします。

老荘思想の基本は、自然にならい、決して気張らず無理をしないことです。

それが、毎週土曜にささやかな文字数の原稿を書き続ける基本姿勢のもとになりました。それに毎回老子荘子では飽きるので、なんでもありの言葉をお届けするように心がけました。

今回は、ゲーテから知恵をいただきました。

カエルの言葉から、芭蕉の句を真っ先に思い浮かべました。

そうだ、芭蕉さんも、耳にしたのは、カエルの声なんだ。

そこからイメージを膨らませ、古池のカエルを連想し、池に飛び込む音まで聞こえました。カエルの声が聞こえるなら、水があるに違いない。水かあるなら、古池と名月かというようにイメージが膨らみ、カエルがそこに飛び込む動きを音にして加えた。

そうなると静止画ではなく動画の世界となる。

とうのゲーテさんは何を言いたかったのか?

ネット検索して、この言葉を取り上げている人が結構多いのを知りました。

必要条件と十分条件。高いものがいいのものとは限らない。しかし、いいものは高い。論理学ではそうなりますが、ゲーテさんは、この言葉でなにかを語りたかったに違いない。

水のあるところにカエルがいるとは限らない。

自然の神秘に気づく人は数少ない。

まだまだ気づかれない自然の神秘はあまたある。

カエルの声が聞こえる所には水がある。

自然の神秘に気づき始めた人は感動の声を発する。

きっとそこには、姿を現し始めた神秘があるに違いない。

IPS細胞の発見はそういった水に思えます。

からだのいろんな細胞に分化するおおもとの細胞。

STAP細胞になると、カエルが水を見誤ったケースです。

ゲーテさんの前提は、カエル自らが、神秘に気づく好奇心と感性と観察力を備えることなんだとと、今回の言葉をかみ締めてわかった次第です。

一極集中の怖さ

首都圏の人口流入が減らないというニュースを聞いた。

それが通勤ラッシュや交通渋滞を生む。

何故人口流入が止まらないかというと、官庁が東京に集中し、企業の本社が東京に集中し、勤め人が近郊から集まり、道路が混み、交通機関が混み合う。

政治経済の中心が一極化している。

北朝鮮の脅威を防ぐため、政府は防衛のための兵器を買い込んでいる。

しかし、北朝鮮の核爆弾が数発東京に落ちれば、日本の政治経済は再起不能に陥る。

そういった危機的な状況に日本政府は非常に楽観的である。

アメリカが安保条約で、ミサイルを迎撃してくれるとたかをくくっている。

核兵器を世界一持っているアメリカでさえ、経済の中心はニューヨークにあり、政治の中心はワシントンDCにある。学問の中心は、ボストン、プリンストンスタンフォードと全国に散らばっている。リスクを分散しているから、1回の攻撃では国は滅びない。

東京のリスクは、北朝鮮だけでない。

地震や大雪や大雨でも、機能停滞する。

人間のからだですら、頭にすべての機能が集中しているわけではなく、心臓に全身にエネルギーをとどけるポンプ機能、消化器官には外部から栄養を取り込む機能、皮膚は体温を一定に保つ機能、手足には運動機能と、全身に機能分散して、外界のリスクに備えている。

日本だけが、一極化して、リスクまで集中させている。

エネルギーだけ、他県に依存している。自分で自立するなら、東京になぜ国策で原発を配備させないのか。

安倍内閣の成長戦略は経済に集中して、この国のリスクを軽減する戦略になっていないのが気掛かりである。明治時代の一極集中による成長政策を踏襲しているだけで、関東大震災の反省を真剣に考えていないように見える。

災害にあってから考えることは、福島原発災害だけで十分である。

 

TaoChat@900編集後記

北陸地方の大雪のニュースを聞いて、藤沢周氏の「雪闇」を思い出した。

雪国の人間は、雪に挑むことはせず、雪に耐えることを知っている。

「雪闇」にはそんな描写が書かれていたと思う。

雪かきは、生きる術として雪につぶされないように雪をのける人間の最後の抵抗だと思う。

雪国の人々へのメッセージが蕪村の句である。

蕪村の句は、厳しい自然の前に人間がなす術を失う姿を詠む。

それは悲劇ではなく、暖かな心をもって、自然を見つめる姿であると思う。

「愚に耐える」というのは、よい言葉である。

「窓の雪」すら明かりを与えてくれない。

「窓の雪」で読書できなくても、怒りは湧かない。

自然に怒っても仕方がない。

蕪村は、思わず微笑んでしまう。

そうだ、雪の竹は、もう読書を止めて、ばか者でいいじゃないかといっている。

「愚に耐える」とは、自然を前に無力な自分を自覚することなんだ。

そんな思いを蕪村は抱いたのかもしれない。

雪だけじゃない。最近多い火山活動。

富士山だって最近の噴火は宝永大噴火でつい300年前。

いつ何処で活動が開始するかわからない。

そういった状況に直面したら、運を天に任せて逃げるしかない。

蕪村の句には、「愚に耐える」人間の歴史を感じた。