北陸地方の大雪のニュースを聞いて、藤沢周氏の「雪闇」を思い出した。
雪国の人間は、雪に挑むことはせず、雪に耐えることを知っている。
「雪闇」にはそんな描写が書かれていたと思う。
雪かきは、生きる術として雪につぶされないように雪をのける人間の最後の抵抗だと思う。
雪国の人々へのメッセージが蕪村の句である。
蕪村の句は、厳しい自然の前に人間がなす術を失う姿を詠む。
それは悲劇ではなく、暖かな心をもって、自然を見つめる姿であると思う。
「愚に耐える」というのは、よい言葉である。
「窓の雪」すら明かりを与えてくれない。
「窓の雪」で読書できなくても、怒りは湧かない。
自然に怒っても仕方がない。
蕪村は、思わず微笑んでしまう。
そうだ、雪の竹は、もう読書を止めて、ばか者でいいじゃないかといっている。
「愚に耐える」とは、自然を前に無力な自分を自覚することなんだ。
そんな思いを蕪村は抱いたのかもしれない。
雪だけじゃない。最近多い火山活動。
富士山だって最近の噴火は宝永大噴火でつい300年前。
いつ何処で活動が開始するかわからない。
そういった状況に直面したら、運を天に任せて逃げるしかない。
蕪村の句には、「愚に耐える」人間の歴史を感じた。