マタイによる福音書

来週のメルマガのネタ本を決めました。

聖書は、自分が親父の保育園を卒園するときにもらった聖書です。

下町のプロテスタント系の保育園だったので、卒園時の記念品が新約聖書で、それが今も本箱にありました。

老荘ファンがなぜ聖書を持つか?

後付理由を考えると、いつか役に立つと思ったことと、捨てるとばちが当たるかもという極めて日本的な思いから来ていると思います。

もちろん、聖書は読んだことはありません。

本箱にそのまま残していました。

永遠のベストセラーなので、いつか読みたいと思い続けていたまでです。

神を信じるか否かは別にして、いろんないい言葉を残しているのが聖書です。

以前海外旅行していたときに出会ったユダヤ人と宗教の話になったとき、老荘の話をしてみました。そしたら、彼曰く、お前の道も俺の神も唯一神で同じだ。砂漠にいるか宇宙にいるかの違いだけだ。それを信じることで心の平和が得られるなら、それまた同じ効用だと互いに納得して別れました。

マタイによる福音書は、新約聖書の一番初めに書いてあるので、一番重要なことが書いてあるという予想をしました。読んでみると、そこここにためになる言葉がかいてあり、その一つを拾う予定です。

クリスマスは、キリストの聖誕祭なので、時期的にもふさわしいと考えています。

お楽しみに。

 

TaoChat@892編集後記

先週も編集後記を書かずに終わった。

東京にいる孫の面倒を見るため、メルマガを出したあと、慌てて家を出た。

今日はメルマガを出したあと、慌てて歯医者に行き、その後、車検のため、車を整備業者に持っていき、代車をもらって、今晩の食事の買い物にスーパーに行き、やっと今戻ってきたところである。師走は先生でなくても忙しいことを実感した。

今回は論語である。

最初は「ブッダのことば」を探した。なかなかいい言葉が見つからず、論語に移った。

次回はクリスマス前なので、聖書から言葉を選ぼうと思う。

「好きこそものの上手なれ」というが、英単語を必死に覚えるより、自分の好きなものを英語に訳してみる方がよっぽど勉強になる。旅行が好きなら、旅行の英語エッセイを読んだほうが頭に入る。

「知る者は好きな者には及ばない」

知る者は知っていることに目的があるが、好きな者は知ったことを好きなものに生かそうとするから、好奇心が増し結果として知識が増す。

「好きな者は楽しむ者に及ばない」

好きな者は好きであり続けようとする。

楽しむ者は好きなことを次々と変えて楽しもうとするから、好きなことがほんとにどれだかわからない。好きであることにこだわらず、好きなものと一緒に楽しもうとするから、知識を増そうともしない。

むしろ知識を減らしていこうとする。

好きなものと同化すれば、ことさら知識を得ようしなくても、そのものの真髄は身に備わることになる。

論語の言葉は、老荘の道を進む者にとっても、ためになる言葉である。

楽しみかたはひとそれぞれで異なるから、ひとそれぞれの老荘があってよい。

楽しまなければ、どんな知識も死んだ知識になる。

楽しめるレベルを目指すのが、終生の道である。

TaoChat@890編集後記

昨日は新大久保の居酒屋で最初の忘年会を2人でやりました。

新大久保は新宿の隣駅ですが、ホームが狭く、しかも町がごちゃごちゃしていて、都会の駅とは違う雰囲気があり、面白い町です。駅の近くに昔ながらの居酒屋があり、昨日は九州の酒とがめ煮やからしれんこんを肴に飲みました。

そのため原稿を書き始めたのが8時過ぎで、発行が遅れました。

師走になると、いつもこの一年何とか乗り切りったなという感慨を抱きます。

2ヶ月前に知り合いの奥様がくも膜下で急死され、死は突然訪れるものという実感を新たにしました。お歳は私より3つ下で笑顔の美しい方でした。

昨日まで元気であったのに、今日はもう帰らぬひとになっている。

あまりに突然なので、亡くなったことが実感として受け入れられない。

そこで、死に関する言葉を、最近購入した「生と死のことば」より探しあてました。

「抱朴子」は、西暦283-343年に生きた葛 洪(かつこう)が書いた本で、神仙思想を説いたとWikipediaにありました。

いつ死ぬかわからないから、心配なく暮らせる。

確かにそうかも知れない。

しかし、死刑囚はいつ死ぬかわからないから、死におびえて過ごす。

人間なんて、皆死刑囚じゃないか。

と考えると、死におびえることもなくなる。

わたしの場合だと、今65歳なので、平均的に生きれば、死刑執行はほぼ20年後である。

しかし、いずれ死ぬのはわかっているが、明日死ぬとは思っていないので、今日と同じような明日がくると予想して、いつも通りの暮らしを続けている。

そこには、今日に対する重みが抜け落ちている。

明日もまた隣には女房がいて、同じように飯を食べて、同じような会話をして、死までの20年を送ると考えてしまっている。それがある日、突然女房が消え、ひとりだけの生活が始まる。孤独感が襲って、今後どう暮らしていこうか心配が募る。

「抱朴子」の言葉に、どうしても逆説的な意味を汲み取ってしまう。

いつ死ぬかわからないから、心配はなくなる。

自殺者にとって、今死ぬから心配がなくなる。

わたしのように自殺できない人は、いつ死ぬかわかったとしても、心配する暇はない。

死ぬまでにどう生きるか、真剣に考えないと後悔が残る。

突き詰めれば、心配する時間があったら、やるべきことを今することに当てる。

あとに残された者の生活を心配しても始まらない。

あとに残された者は何とかして生きていけるものである。

老荘思想では、死は永遠の別れではない。死は生をもって引き継がれる。

死後の肉体は大地に帰り分解され、別の生命の構成物となって生かされる。

食物連鎖がその証である。

鳥葬はひとの屍を鳥のえさとして葬る。

いつ死ぬかを心配するどころか、死ぬことも心配の対象でなくなる。

死ぬ事が自然界のサイクルのひとつとして考えている。

老荘思想は、いつ死ぬかわかったとしても心配はないと考える。

仏教思想は、いつ死ぬかわからなくても心配は消えないと考える。

死以外に病気、老齢、苦しみが心配の種となるからである。

「抱朴子」の言葉から汲み取りたいのは、いつ死ぬかわかった場合どうするかである。

いつ死ぬかわかったときは、いつまで生きられるかわかったときである。

残された時間を無駄な心配に費やすのか、あるいは、今でしかできないことに費やすのか、落ち着いて考えなさいということである。

とするなら、いつ死ぬかわからなくてのほほんと暮らすより、いつ死ぬか覚悟して、今を有意義に生きる方がずっといい、と「抱朴子」は教えているようである。

ライスカレー

カレーライスともいう。

自分の得意料理になったのは、単身赴任で自炊生活をしていたときにいろいろ研究してみた。といっても、カレーのルーは出来合いなので、玉ねぎをオリーブオイルでいためて狐色にして、肉をいためて、野菜を放り込むだけである。

オリーブオイルでいためたあと、パプリカとかセージをいれて肉をいためることもある。とにかく、ルーを入れる前に下準備するところが楽しい。

とにかく自分で作って自分で食べるのだから、おいしく作ろうとそれなりに努力することになる。肉も、チキン、ビーフ、ポーク、ラムをいろいろ試した。意外においしいのがチキン。何食分まとめて作るので、カレーはパックすることになる。カレーがプラスチックにしみこむことを知ったのも、自炊の恩恵である。

インド人の家にいくとカレー臭いというが、インド人の体臭がすでにカレーになっている。作ったカレーはご飯と一緒に食べるだけでなく、パスタにかけたり、トーストに載せたり、うどんに載せたりして、それなりのバリエーションを楽しむことができる。

いまだに会社勤めを続けているので、昼飯は週に一回はカレーを職場近くの居酒屋で食べている。カレーにはウコンが入っているので、酒飲みの自分としては、肝臓のためにカレーからウコンを摂取しているといってもよい。

インド人には認知症が少ないのもカレーを食べているからといわれている。

高齢者にはカレーがベストだと信じている。

従って、高齢者になったら、カレーくらい自炊できないとまずい。

自炊できないひとは、レトルトカレーを準備しておく努力は必要なようである。

野菜も肉も入っているので、栄養のバランスはとれている。

カレーは加齢臭も消してくれる。

へんな薬を飲むより、カレーを食べていれば、ぼけを防止しお酒も適量飲める体を作ってくれる。一挙両得である。

TaoChat@889編集後記

今週のニュースは、金属材料メーカの品質偽装がまた明らかになり、韓国では「慰安婦の日」が制定され、サンフランシスコ市は慰安婦像を認定した。中国が習近平の特使を北朝鮮に派遣したものの失敗に終わり、米国は北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定した。

いいニュースは続かないが、オバマ政権の失敗作だった、「テロ支援国家」の解除を取りやめたことは、トランプ政権の良識だったと評価したい。

そこで菜根譚の言葉をなぜ選んだのか振り返りたい。

狙いはもっと日常の問題から考えたかった。

車の「あおり運転」が問題となり、ドライブレコーダが売れているそうだ。

車だけではない。道を歩いていても、自転車にぶつかりそうになったり、後ろから走ってくるひとにぶつかったりする経験は誰も持っていると思う。

何故皆が先を急ぐのか?

ひとより一瞬先に行っても、最終地点ではそう変わらない。

TVでよく実験していることだが、渋滞時に車線変更を何回も繰り返しても、同じ車線を走り続けても、目的地に到着する時刻はさほど変わらない。

渋滞時に車線変更して接触事故を起こす危険を冒してまで、先を急ぐメリットはない。

あおり運転は、先を越した人に先を越された人が先を越されたことを根に持って行う危険運転である。その原因は、「先を越した行為」と

「その行為に逆切れする行為」である。

菜根譚は、おおもとの原因、「先を越した行為」を控えて、余計なトラブルから身を守ろうというもの。

「先を越した行為」は、競争社会の中では、ひとより先に出世することだが、これも周りからしっとやねたみを浴びることが多い。

自分で原因を作ったという自覚がないから、始末に終えない。

これは誰が悪いといった議論ではない。

悪くなくても敵意を持たれると言う事である。

広い世の中、理不尽なことも沢山起きていて、その原因を自分が作っていることを自覚しないと問題は永遠に解決しない。社会が変わる前に自分が変わるしかない。

それを菜根譚は言っているように思う。

日本企業の品質偽装で言えば、早く製品を市場に送ることを急いで、正規の試験を端折った結果、つじつまを合わせるためにデータ改ざんすることになった。その結果、稼げた時間以上の対価を支払わなければいけない状況になった。

北朝鮮への圧力も先を急ぐと失敗する。

じっくり時間をかけて締め付けるべきである。

窮鼠爪を噛むというように、追い詰められると何をしでかすかわからない北朝鮮である。

あおり運転のドライバーように行き着くところまで行く。

事故で自分が傷つくか、相手を事故で傷つけるか、同時に両者が傷つくことになる。

それを避けるために、じっくり圧力を増していくほうがよい。

トランプ大統領もこの戦略で行くのだろう。

菜根譚の言葉は、広範囲に適用できるが、今回のメルマガでは、身近な防衛策にとどめた。

 

 

 

 

腕時計型携帯電話その3

その後、Apple Watch Series 3のニュースがいろいろ入った。

その一つは、サーファーの命拾い。

沖に流されたサーファーがApple Watchをしていて、救助隊を呼ぶ事ができ、命拾いした話。

確かに、スマホをもって海で泳げない。

心拍数が急上昇した少年がApple Watchをしていて、異常を察知した医者が急行して一命を取りとめた話。

日本では、まだこのような話は聞かない。

でもこれから、こういう話は出てくるだろう。

日本では、Engadgetというサイトで、通話機能より、決済機能に重宝している話が主婦から出ていた。

改札を通るとき、赤ん坊を抱いているとスイカがなかなかすぐに出せない。

モバイルスイカをApple Watchに載せておけば、時計をかざせば、改札もバスの乗り降りも楽チン。

それに、スーパーの支払いも、Apple payで済ませるので、現金もいらなくなる。

通話の機会など減るから、メールが見れて、決済ができれば、魅力満載なのかもしれない。

技術の恩恵は今や限りなく広がる。

TaoChat@888編集後記

8のぞろ目の回なので、特別な言葉を探したが、見つからなかった。

先週は英語の言葉だったので、今週は漢字にする積もりだった。

孫子」は戦いに勝つための秘策を教えるが、ひとつひとつの秘策には前提がある。

それは書いていない。

こうすれば勝ち、こうすれば負けると書かれるが、勝つための前提、負けるための前提がある。

戦争なんて、できればやらない方がいい。

やれば人が沢山死んで、土地は荒廃し、勝っても恨みを残す。

それは人類が一貫して繰り返してきた真実であり、孫子もこの前提に立つ。

今回の北朝鮮への圧力も、戦争を起こす前に、勝ちを決めたい。

孫子を学んでいるなら、北朝鮮も米国もそう思っている。

孫子に出てくる無形戦略は、一言で言うなら、形の定まらない軍形は攻めようがないということ。中枢が明らかでないので、こっちを叩けば、あっちが出てきて、あっちを叩けばこっちが出てくる、もぐら叩きと同じである。北朝鮮がこの無形戦略をとっていると以前のメルマガで書いた。

手をこまねいている間に、北朝鮮は核弾頭つきミサイルを開発した。

この時点で、勝利は北朝鮮にあがっている。

時計の針はもとに戻せない。

今回のメルマガは、このような生々しい状況はさておき、無形の軍形のメリットを出しているのは、いまのSNSの世界であるということから、無形戦略を見直した。

無形の強さはとらえどころのないところで、誰もが情報の発信源で、社会の発展のための情報を提供できる点である。これにより、見知らぬひとが情報の共有が行え、いろんな疑問点がそれなりに解決している。

情報機器の故障や操作法など、ネットなしに問題解決はできないと認識する。

無形の弱さは、情報の真偽は自分で判断しないといけない点である。

不正請求など、情報を鵜呑みにすると、金銭被害にあう。

書き込みすると、逆に非難されることもある。

情報の発信源の分散化は、発信するひとのモラルと受け取る側の情報の真偽判断に任される。この前提があっての無形戦略なのである。

孫子の無形戦略は、味方にとっても軍形は常に変動している。

相手を欺くための軍形なので、味方も欺かねばならない。

命令系統の中枢を持たない。

中枢からの命令が優先すれば、それを傍受されると戦いは不利になる。

分散した軍は自律的に戦局の真偽を判断し、行動しなければならない。

無形を維持するには、軍の末端がしっかり判断能力を持たなければならない。

孫子の前提は、無形を支える末端組織の自律的な判断となっている。

ネット社会の場合なら、ネットの末端にいる個人のモラルと真偽判断が無形の前提となる。

最近の事件は、ネットの無形の悪用が引き起こしており、情報を受け取る側が負う判断の重みがとみに増している。