TaoChat@921編集後記

今日は七夕です。

日本全国で記録的な大雨が降って、被害もあちらこちらで発生しています。

被災された方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

その中で、オウム死刑囚7名の死刑執行が行われました。

死刑廃止論が世界の趨勢ですが、日本には死刑は残っておいて欲しいと考えます。

麻原元代表は最後まで口を閉ざしました。

真相は闇に葬られましたが、それが彼の選択だった。

今回の言葉は、常日頃われわれがやっておかねばならない心の状態を教える菜根譚の言葉です。

心が揺れ動いていると、世界は違って見えてくる。

世界は自分の眼が見ているので、見える世界は自分の世界です。

心がオウムに囚われていると、オウムの世界しか見えてこない。

心を止水の状況に置ければ、水面の月がそのまま見えてくる。

その世界が本性という世界。

心がオウムに囚われた結果、坂本一家殺人事件やサリン事件を引き起こし、多くの命を奪い、今も後遺症で苦しむ人も多くいる。

国家権力から自由になりたい人々の集団が、オウムという別の権力にしがみつく。

オウムに入信したエリート集団は、国民の真の姿が見えていなかった。

国民は国家権力を肯定しているわけではなく、とにかく平和に暮らしたいだけである。

死刑制度も国家権力が秩序維持のため導入している極刑に過ぎない。

オウム事件の最後の被告人が今年始め、無期懲役が確定して、20年以上続いたオウム事件の総括が、死刑執行で終わろうとしている。

死刑囚の最後のチャンスは、自分を見つめ直す時間だった。

何故、このような大罪を犯してしまったのか?

ごく普通の医師であり、技術者だった人間が、教祖の言葉を信じて、凶行に至った。

あるときから、オウムという渦に飲まれて、そこから身を退く事ができなくなった。

自由になりたい人間は、心をまず自由にしなければならない。

そうしないと、本当の世界は見えてこない。

菜根譚の言葉は、常日頃、虚心になる訓練をしておかないと、知らないうちに、心は何かに囚われいく危険性をも教えてくれる。

 

 

TaoChat@920編集後記

関東地方は早々と梅雨明けして、今朝からいい天気です。

作物にとって水不足ではないのか気掛かりです。

ワールドカップで日本チームがベスト16に進出した試合を見ていました。

引き分けでベスト16進出というアナウンサの声が耳障りでした。

勝ちにいって結果的に引き分けなら納得できますが、最初から引き分け狙いなら、0対0に持ち込む布陣でメンバーを決めることになります。

その監督の狙いも、ポーランドに1点取られてから、セネガルの負けを期待した戦略に変わりました。ボールを回して時間稼ぎをして、ようやく事なきを得た。

応援して見ている方からすれば、セネガルが同点にこぎつければ、日本の敗退は決まるので、何故攻めに行かないのか理解に苦しみました。

今回のカミュの言葉は、仕事の人生への意義を語るものです。

仕事に魂を込めないと、人生が無味になるというものです。

言われた仕事を忠実に確実に実行するのも、立派な仕事。

今回のポーランド戦での最後の10分間の選手の仕事はその通り。

観衆に感動を与える仕事かというと、そうではない。

忠実に確実に実行するのに、魂を込めているなら問題はないのかもしれない。

自分の解釈は、どんなつまらなく見える仕事でも、魂を込めることで人生が豊かになると考えている。

人生において、魂を込めるに値すると思えない仕事に出会うこともある。

しかしその仕事に魂を打ち込むかで否かで、その後の人生が変わるとカミュはいう。

それを決めるのは我々自身である。

この度成立した働き方改革法で決めるのは、極めて表面的なところである。

労働時間の制限を撤廃すれば、思い切り働ける。しかし、労働(仕事)の価値は時間ではなく、どれだけ魂が込められたかで決まる。魂が込められた仕事は、無限の改善の繰り返しが含まれている。

法律で決められるのは、個人の働き方ではなく、会社が行う働かせ方である。

カミュがいう魂は、人間に残された尊厳であるようだ。

それを自ら放棄することは、酸素を失う行為なのかもしれない。

 

TaoChat@919編集後記

昨夜は飲み会があり、ワールドカップのブラジルの試合が見られないのが気掛かりでした。でも有楽町から自宅に戻り、TVをつけたら、後半アディショナルタイムで、0対0で、そのまま見ていたら、1点が入り、その直後ネイマールがさらに1点を追加して、試合が終わりました。0対0の間中、東京で飲んでいて、10時半ごろ帰ったら、試合を決めるシーンで出会えるという、ラッキーな一日でした。

ということで、今回は孫子の言葉をお届けしました。

孫子の水の理論は、老子から学んでいると思います。

老子の水は道のたとえですが、孫子の水は戦術の道です。

ワールドカップのサッカーを見ていると、孫子の水が入り乱れているように思えます。

守りに徹するチームは、とにかくすきを作らないように、徹底的にマークする。

攻めるチームは、ワンパターンの攻撃ではなく、右から左から攻め、ショートパス、ミドルパス、ロングパスを使い分け、守りにすきを作ろうとする。

水が吸い込まれるように、ボールがネットに吸い込まれる。

最後は、選手個人が自分を信じることが支えになる。

あのネイマールでさえ、試合後フィールドで静かに泣いていました。

どんな緊張の中で戦ってきたかわかります。

メッシもPKをはずして、緊張に押しつぶされているようです。

選手には、自分を信じて、水の流れのように、すきに入り込み、チャンスを作るしかない。

半端ないっての大迫にチャンスを与えたのが、本田選手への交代。

兵に常勢なしです。 選手交代で流れを変え、攻撃に変化を生じ、守りのすきが生まれる。

ワールドカップのサッカーから、孫子の言葉がふいと思い出されました。

TaoChat@918編集後記

2回ほど、編集後記をさぼってしまった。

その間に、色んな事件や米朝首脳会談があった。

その都度、何か書かなければと思ったが、後回しになった。

身近では、茅ケ崎で90歳の女性が死亡事故を起こした。

いつも通る道で、事故が起こりそうもない所でした。

自分が死んでいても不思議はない場所です。

新幹線での自殺希望者による殺傷事件。

どこでなんどき、死に目に遇うかわからない時世であると思わされます。

今回選んだ老子の言葉は、無の用の話です。

完璧なものにはどこか抜けたところがある。

満たされたものは中が空っぽである。

無を満たそうとすると、満たされなくなる。

無は無のまま、使ったほうが役に立つ。

90歳の事故で言えば、加害者は赤信号だったがでひとは渡っていないと思い、通過してしまった。90歳の人間は体力も衰え記憶も薄れる完璧な人間ではないが、自動車という用で、人生を無にしてしまう事故を起こした。自動車運転という用を捨てれば、事故は起きなかった。

用で無にするのがよいか、無で用を為した方がよいか、結論は言わずもがな。

人間の無は死とも言えます。

死で心が一杯になると、恐怖に怯え、自暴自棄になることもある。

死で心が満たされると、人生が満たされなくなる。

老子は人間の無をどのように考えたか?

人生を有無相生と考えた。

生きている最中に、生と死が交互に現れると考えた。

寝ているときは死と同じ。朝起きずにそのままずっと寝た状態が死。

人間は毎日、死んでまた生きる。

自殺願望者が、死からの再生を毎日繰り返していることに気がついたら、人生が変わって見えてくると思われます。

無というのは、心を一度リセットする契機です。

自分はあのとき一度死んだと考えると、そのあと執着心を捨て、生まれ変わる事ができる。それは簡単なことではないかもしれないが、死の用を悟った人間だけがその用を実感できる。

老子の言葉は重いが、心に焼きつく。

そんな言葉こそが普遍的な真理の言葉である。

 

 

働き方改革法案

働き方改革法案が厚労委員会で強硬採決となった。

高度プロフェッショナル制度が雇用者の視点で決められまずいらしい。

高度プロフェッショナル制度って何なのという疑問を持ち調べてみた。

朝日新聞のサイトによると、「専門職で年収の高い人を労働時間の規制の対象から外す新たな仕組み。年収1075万円以上のアナリストなどの専門職が対象。労働基準法は法定労働時間を超えて働かせる場合、割増賃金の支払いを義務づけているが、対象となる働き手は残業や深夜・休日労働をしても割増賃金が一切支払われなくなる。」

高度プロフェッショナルは、そもそも年収で決まるものではない。

街の大工さんや左官屋さんだって、立派な高度プロフェッショナルである。

この制度を見ると、高い金を払って仕事をさせているのだから、何時間かかっても設定した報酬以上は支払わないということのよう思える。

労働時間が長くなってぶっ倒れても自己責任ということになる。

そもそも出来高払いだから、それも仕方がないかなと思う。

この法律の片手落ちは、労働時間の下限撤廃もセットにしていないところである。

これを指摘する人は誰もいない。

月100時間かかる高度プロフェッショナル業務を月10時間でできても、雇い主は文句を言えないように法律で規定すべきということである。

高度プロフェッショナルは空いた時間を休暇に使ったり、別の会社の仕事に回す事ができる。それを可能にする法律でないと困る。

今の働き方だと、雇い主は、高度プロフェッショナル人材を会社に囲おうとする。

つまり、労働時間の下限を設けて、高度プロフェッショナル人材を社内に拘束しようとする。それを防止することである。高度プロフェッショナル人材の働き方の本質は、できるだけ短時間で目標を達成することにある。

ここで単純なたとえを上げる。鍵師は、他人があけることができない鍵を短時間で開ける高度プロフェッショナルである。依頼した鍵の種類により成功報酬は異なるだろうが、ここでは、一回開けるのに1万円の報酬をもらうとする。

開けるのに1分なら、時給は60万である。1分かかろうが2時間かかろうが、雇い主の客は1万円を払う。鍵師の方は、すぐ次の難易度の高い仕事を探す。

難易度の高い仕事に挑戦すればするほど、技に磨きがかかってくる。

過労死する人は、鍵を開けるのに100時間かかり体力が持たないためである。

高度プロフェッショナル制度の片手落ちは、鍵師が1分で開けたときに、雇い主が鍵師を時間的に拘束しようとすることが可能なためである。他で仕事をされ優秀さがわかってしまうと、もっと高額の報酬で引き抜かれることを防ごうとする。

この時間的な拘束を防止することが、高度プロフェッショナル制度に必要である。

高度プロフェッショナル制度が雇用者にとって都合のいいところだけ決めているのは、都合の悪いところは目をそむけている法律だからだと思う。

 

TaoChat@915編集後記

世の中は、アメフト監督の「潰せ」発言問題から、米朝首脳会談中止まで慌しかった。

どちらの問題も、言葉の軽さが災いを呼んだ問題であるようだ。

日大学長の記者会見も、「近頃の若者は潰せの意味を文字通り受け取って困る」ような印象だった。

一方、金さんとトランプさんは、会談前に有利に立とうと、褒め上げとけなしを交えた筆舌合戦を繰り広げている。

二人に言いたいのは、会談を始まるまで黙っていて欲しいということ。

核実験場爆破は、勝手に証拠隠滅し、好印象を植えつけるお祭りである。

5月最後の言葉は、こういう胸糞が悪くなる人間界を離れて、一茶が繰り広げる感動のシーンの句をお届けした。

生きるためにいのししを殺す猟師が、銃口をいのししに向けている。

その腕に留まる小さな蝶。

その蝶が猟師にささやく言葉。

それを一茶は、17文字によんでいる。

言葉は一茶の心より発せられるが、蝶の心を汲み取って発せられている。

無駄な言葉は一文字もない。

日本人の文化は、必要最小限の言葉で心を伝えるところにある。

西城秀樹さんが亡くなった。

「一生青春」が彼の言葉だったらしい。

最後までその言葉を貫いて生涯を終えた。

言葉は少なくても、その言葉で語られる彼の生き方(一生)が感動を呼ぶ。

一茶の蝶の言葉は、「いのししを見逃して欲しい」と聞こえた所に小さな命を見守る生き方が現れている。

アメフト監督が教えるのは、フェアなスポーツ精神であり、敵を潰すことではない。

首脳会談をする首脳なら、目指すのは世界の平和であり、自国の平和ではない。

世界平和のために、自分が何をすべきか、会談で徹底的に論じて欲しい。

一茶の句から脱線したが、弱きものを見守る眼差しを現代人は忘れている。

眼差しがあれば、言葉は多くはいらない。

眼差しを行動で示せばよい。

一茶は、眼差しを句に表現するという行動で示した。

TaoChat@914編集後記

何だか今日は蒸し暑く、空はどんよりしている。

SPOTIFYCelso Fonsecaのボサノバを聴きながら、編集後記を書いている。

ブラジルの青い空を思い浮かべて。

今回は、「老子」から言葉を選んだ。

最初は、「生と死のことば」をぺらぺらめくり、探していた。

しかし、生と死の言葉は重いので、選ぶのに疲れる。

老子の「死して滅びざるは命ながし」があったが、先送りした。

今回の老子の言葉は奥が深い。

一貫しているのは、自然から学び、自らの人生で実行せよということで、それが長生きに繋がるという。

足るを知るは、食べたいのを我慢しろというのではない。

空腹を満たした加減をわきまえるということだと思う。

サバンナのチーターを例に挙げたが、チーターは空腹を感じて狩りをする。

人間も空腹を感じたときに食事をしていれば、飽食にならない。

腹が満たされているのに、もっとうまいものを食おうと美食する。

空腹は、身体がエネルギー補給を求める声である。

それに応じて適度に補給すれば、足るの程度がわかってくる。

足るを知るとは、身体の感覚である。

その声を聞き漏らすから、足るがわからなくなる。

とどまることも同じである。

勢いにまかせて度を越すと後戻りできなくなる。

アルコールの飲みすぎも翌朝に残る酔いは度を越している。

とどまることを教えるシグナルも身体が発する。

会社人間となり、心身を犠牲に懸命に働いても、そのつけはいずれ回ってくる。

いらいらしたり、眠れなくなったり、疲れやすくなったり、身体の症状に表れてくる。

その身体の自然の声を聞き漏らすから、後戻りできない事態に陥る。

自然は、バランスを保とうと必死に引き戻そうとする。

とどまることを教えようとする。

その声に耳を澄ます事が大切なんだと思う。

地球環境が、遠心力と引力のバランスのもとで成立していることをひとは忘れている。

そのバランスは自然界のいたるところで作用している。

人間はそのバランスに支えられて生きていると老子は教えてくれる。