TaoChat@1184編集後記

今日も朝から暑い。軽い熱中症にかかったらしく、体が熱っぽい。冷蔵庫から保冷剤の小袋を数個取り出し、タオルで首に巻いている。そのおかげか多少頭がすっきりしてきた。とにかく高齢者は、体温調節機能が弱っているので、体の冷却は保冷剤頼りである。今週のニュースは、ビッグモーターの保険金不正請求問題と、昨日の女子小学生3人の水難事故が大きい。ビッグモーターは不正をしようと思えばいくらだって行える立場にあったので、罪は大きい。事故車にさらに傷をつけて保険金を請求したのは、消費者を馬鹿にした行為で、業界から退場をしてもらうに値する不正行為である。水難事故の方は、水着ではなく、服を着たまま飛び込んだようである。勢いにまかせて飛び込み、深みにはまった。服を着ていると、体が思うように動かないので、ますます慌てる。冷静な泳ぎができなくなる。大人がいれば当然止めるが、それがなかったのは、悲しい限りである。プライベートの一週間は、新田次郎氏の「アラスカ物語」を読み始めた。アラスカの一年を通じての天候が詳しく書かれており、臨場感豊かな小説である。フランクとエスキモーとの交流が深まるところまで読んだ。

今回の言葉は、芭蕉の句を選んだ。今真っ盛りの夏の風景を詠んだ句である。海底の蛸壺の中で見る夢を想像したくなる。どんな夢をみてもはかない夢だろうが、人生も蛸壺の中で夢を見ているようなものかもしれない。アンリ・ルソーの絵画「眠るジプシー女」では、砂漠で眠るジプシー女のわきにライオンがいて、それを月が見ている構図になっている。海底の蛸壺の中で眠る蛸を月が見ているという、芭蕉の句の構図と対照的である。どちらも、眠る主体は迫る危機には気づかず、安らかに夢の世界に遊んでいる。さらにどちらも天空の月がこの情景を見つめている。アンリ・ルソー芭蕉の句を知ったら苦笑いするかもしれない。