関東地方は早々と梅雨明けして、今朝からいい天気です。
作物にとって水不足ではないのか気掛かりです。
ワールドカップで日本チームがベスト16に進出した試合を見ていました。
引き分けでベスト16進出というアナウンサの声が耳障りでした。
勝ちにいって結果的に引き分けなら納得できますが、最初から引き分け狙いなら、0対0に持ち込む布陣でメンバーを決めることになります。
その監督の狙いも、ポーランドに1点取られてから、セネガルの負けを期待した戦略に変わりました。ボールを回して時間稼ぎをして、ようやく事なきを得た。
応援して見ている方からすれば、セネガルが同点にこぎつければ、日本の敗退は決まるので、何故攻めに行かないのか理解に苦しみました。
今回のカミュの言葉は、仕事の人生への意義を語るものです。
仕事に魂を込めないと、人生が無味になるというものです。
言われた仕事を忠実に確実に実行するのも、立派な仕事。
今回のポーランド戦での最後の10分間の選手の仕事はその通り。
観衆に感動を与える仕事かというと、そうではない。
忠実に確実に実行するのに、魂を込めているなら問題はないのかもしれない。
自分の解釈は、どんなつまらなく見える仕事でも、魂を込めることで人生が豊かになると考えている。
人生において、魂を込めるに値すると思えない仕事に出会うこともある。
しかしその仕事に魂を打ち込むかで否かで、その後の人生が変わるとカミュはいう。
それを決めるのは我々自身である。
この度成立した働き方改革法で決めるのは、極めて表面的なところである。
労働時間の制限を撤廃すれば、思い切り働ける。しかし、労働(仕事)の価値は時間ではなく、どれだけ魂が込められたかで決まる。魂が込められた仕事は、無限の改善の繰り返しが含まれている。
法律で決められるのは、個人の働き方ではなく、会社が行う働かせ方である。
カミュがいう魂は、人間に残された尊厳であるようだ。
それを自ら放棄することは、酸素を失う行為なのかもしれない。