TaoChat@878編集後記

今日は晴天で気持ちがよい。

今回の言葉は老子の「上善若水」である。

星に生命体が存在するかどうか、まず水の存在を探す。

生命が進化するには遺伝情報が必要で、それを支える母体は有機物質で、それを生み出すためには、水が必要になる。

私に水の働きにならうことを教えてくれたのが老子です。

毎年夏には、水の事故が報道されます。

体が水でできているのに、何故、体の外にある水で命を落とすのか?

水は非情だからです。水と同化して魚になれば、決して溺れることはない。

古代エジプトの時代には、ナイル川は毎年氾濫して、多くの民と家が流された。

その一方で、肥沃な土地も河口にできた。

水が支える生命は何も人間だけでなく、地球規模で生命を支えている。

人間は、その営みの恩恵にあやかっている生命の一つに過ぎない。

これを老子は言っている。スケールが人間界にこだわる儒家とは違い、宇宙規模になるところが、すごいところである。

核兵器を使って自分の国だけを守るという防衛思想が、どれだけ狭い考えかがわかる。

頭が古代中国の春秋戦国時代のままで、生き残ることができればどんなことでもやる弱小国と同じである。核兵器を使えば、直接被爆しなくても、水を介して地球規模で生態系の破壊が進むという考えが老子の思想である。

核弾頭ミサイルを迎撃するためのミサイル開発や、核攻撃を受けたときの核シェルタ開発をいくらやってみたところで、被爆で即死しなくても、核汚染した生態系から生きる糧を得ている人間はもっと悲惨な死に方をすると考えるのが老子である。

地球を周回するスペースシャトルからの映像をY-TUBEでみる事ができる。

各国の上で走る閃光は、いなずまの光である。

このいなずまの光が核爆弾の閃光と考えるとぞっとする。

核時代のノアの箱舟は、もはや宇宙の人工衛星に逃れて、核汚染が薄まるのを待つことになるのかもしれない。

国民の平和のために、核兵器核の傘)を利用すると唱える政治家は、核の犠牲になる国民のことは考えていない。その理由は、防衛の兵器のことに関心があり、核攻撃を受けたときの対策を考えていないからである。政治経済を東京一極に集中している限りは、広島原爆の10倍の爆弾を東京に落とせば、日本は壊滅する。首都直下大地震を人工的にやったのと同じである。

迎撃ミサイルの購入より政治的にもっとやるべきことが他にあると思われる。

核兵器で攻撃されたとき、水のように底辺で国を支えている国民の被害を最小限にとどめる対策は、首都機能の分散化以外にない。

老子の水の思想は、以上のように多岐におよぶ。

 

北朝鮮の水爆実験

何も皇室の結婚発表の日にやらなくてもいいのに。

政府の厳重な抗議ばかりでは、何も効果はない。

不思議なのは、中国が北朝鮮核兵器開発を止めない事。

中国との国境近くでやれば、激震でビルの外壁がひび割れするだけでなく、水資源の放射能汚染もあるだろうに。だが黙認している。

表向きは「国際社会のルールに従ってやめて下さい」と声明は出しているようだが、裏では、食料や燃料も北朝鮮に送っている。

日本から見ると、悪がきを前面に押し出して、力のアメリカより、中国がこの問題を解決する主導権を持っていると暗黙のメッセージを送っているように見える。

国連での非難や経済制裁動議は何も効き目はない。

中国とロシアが拒否権を発動するからである。

開発スピードの速さは、資金調達ルートだけでは説明できない。核開発技術を中国とロシアやパキスタンなど、反米国から入手しているためと思われる。

共産国と独裁国は、表向きの顔を裏の顔を使い分けている。

ベルリンの壁が崩壊したのは、民衆の力による。

共産国と独裁国の民衆は、自国の顔さえ見る事が許されない。

 

車社会の行く末その4

車社会の究極の目標は、

① 運転する楽しみを奪わない。

② 好きなところに行ける。

③ 環境を損なわない。

④ 安全に行ける。

と前回で挙げた。

① 運転する楽しみを奪わないとは、人間と車の関係が、人間が主、車が従の関係を維持しつつ、人間と車と道路(経路)が対話をしながら、目的地に行けると楽しみと考える。 車に自動運転させて、人間が寝ていても目的地に行けるというのは、運転する楽しみを放棄した状態を意味する。

運転するドライバーが一番ストレスを感じるのは、渋滞時である。

ブレーキとアクセルを交互に踏みながら、車間を詰める。

渋滞時の操作をすべて自動運転にするのもよい。これは、車だけではどうにもならず、自動運転車レーンを作り、車両同士で相互通信を行いながら、一定車間距離で、集合移動する。割り込み車を防ぐため、別レーンにする。

道路標識は高速の場合、遠方から把握できなけばならない。ナビを使わなくても、道路標識のデータを遠方から電子的にキャッチして、事前に確認できれば、途中で車線を変えたり、ブレーキを踏んだりすることはなくなる。

車と道路が対話するとはこういうことをいう。

人間が主、車が従の関係は、何でも自動にしないことである。

パワーウィンドウは、手動も可能にできるとよい。

ミラーも手動で収納できればよい。

冠水のとき、エンジンが水につからなくても、排気パイプから水が入ってエンジンは止まる。何故、その対策がされていないのか不思議になる。排気パイプの終端はエンジンよりも高くして、水が入らないようにすれば、多少冠水しても通れる。

運転する楽しみは、加速性と静音に求められる。その2つをEVは備えている。

ただ、充電に時間がかかると旅行の楽しみは減る。バッテリーはカートリッジにして、スタンドで充電済みと交換できるようなシステムが欲しい。バッテリーのレンタル方式である。太陽光も使えるなら、そちらも利用したい。

運転する楽しみは、操作パネルや車内の快適性にも求められる。

操作パネルは、ジェット機の計器盤じゃないから、シンプルなのが一番よい。アラームが発生したときだけ、どこが悪いのか音声で説明した欲しい。ハンドブレーキがおろし忘れで警告音は出ても、何が問題か車は語らない。車との対話は、スマホ音声認識と同じ事が可能である。グーグル車には当然ながら、AI車ができると思われる。

彼らの課題として、運転する楽しみをどのように残すかがある。

今回は、①について述べることで終わった。

②以下は次回で説明したい。 (その4終わり)

 

 

TaoChat@877編集後記

昨夜は寒く、朝4時ごろ寒さで目を覚ました。

夏蒲団では足りず、厚い布団を押入れから出してかぶった。

今回は、荘子の言葉を選んだ。

2000年以上昔のひともよく考えたことがよくわかる。

今みたいにスマホやゲームアプリで暇をつぶす機会が多いと、考える事が減ってくる。

昔の人は、空を眺め、飛ぶ鳥の影を見つめて、この影は動いているように見えるけど、本当か?と考える機会にめぐまれる。

荘子の言葉をかみ締めながら、そんなことを思った。

物体とその影は、1対1で決まっている。

この関係は動かしようがない。

物体があらたな位置に動いたとき、前の位置の影はない。

物体の位置をそのまま影は写しているので、この関係は動かないという。

影が動いて見えるのは、アニメのようだと荘子はいう。

まさに、静止画のつなぎあわせで、自分が動いていると知る事ができる。

人間の脳は、情報量がオーバーフローしないように、情報量の少ない静止画の変化で、脳内で動きを作り出している。

ひょっとして、生きている自分、絶え間なく動いている自分の、生の実感も静止画で味わっているのではと思いつき、締めに使った。

蕪村の俳句はまるで天空から眺めた映像を17文字に落としていると時々書いているが、蕪村は、いろいろなアングルから光をあてて、映像を何枚かの静止画(言葉)に落とし込んでいるかもしれない。句を読むわれわれが、頭の中で静止画をつなぎ合わせ、映像を再現しているように思えてきた。

再現映像のほうは句を読む人の数だけあるわけで、蕪村が感じた映像より豊かな映像を生み出す可能性だってある。その可能性を残した表現のほうが文学的には優れたものであるかもしれない。

荘子の言葉は、生きがいという脳内処理にまで話を膨らませる機会を与えてくれた。

 

車社会の行く末その3

VWの車に買い換えたのは、国産車に乗り続けたので、ドイツ車に乗りたいと思ったのと、デザインが気に入ったためである。

VentoのブルーメタリックのAT車に乗った。セダンでトランクも大きく、ドライブ旅行に向いている。高速運転でもエンジン音が大きくなく、ハンドルも安定している。車幅も家の駐車場にきりきり入る。シートも硬めで疲れない。

運転する楽しみが湧いてくる車だった。燃費がいいわけでもなく、故障が少ないわけでもない。

故障はむしろ多かった。一番ひどいのは、女房が運転したときでハンドル操作が効かないトラブルがあった。下り坂の急カーブでなかったのが幸いして大事故はおこならなかった。ディ-ラーに聞くと、ボルトが折れて、パワステが利かなくなったとのこと。ひとの命をあずかる車で、ハンドルが回らなくなるとは納得がいかず、ボルトが折れた原因をドイツの本社に問い合わせてもらった。そうしたら、メキシコの工場で生産した車で、トルクをかけすぎて締めたボルトで、他国でも同様のトラブルが出ていたと報告があった。そんなことは、日本でもリコールをかけてボルト交換すれば済む話でなぜしないかと叱責したのを覚えている。

故障でいえば、パワーウィンドウのワイヤが切れて、真冬のドライブで窓を開けて高速を走ったこともある。その前のカローラもパワーウィンドだったが、そんなトラブルは一度もなかった。パーツの寿命が短いのか、設計が悪いのか、とにかく故障が多く、メンテ費用がかかる。いま、Poloに換えて7年経つが、故障はウィンドーウォッシャのチューブが壊れたくらいで、故障は少なくなってきている。

Ventoはもう生産されていないが、2003年当時から比べると、VW車もかなり増え、Beetle, Golf, Polo, Upも道でよく見かけるようになった。最近ではCooper人気も高まっている。

車に長く乗ってきて、驚く事にエンジン制御がコンピュータで行われるようになり、エンジンの不具合は、コンピュータ動作で説明を受けるがよくわからず、ディラーもプログラムを書き換えたで済ませる事が多い。一言でいえば、ブラックボックス化している。そうなるとコンピュータが暴走を始めると何が起こるかわからないわけで、空恐ろしい乗り物に乗っている気分になってくる。

今後はマニュアルに切り替えられる車も必要になる。パワーウィンドーの故障のときは、窓はマニュアルのほうがよいとさえ思った。

もうひとつ感動する点は、ナビである。昔は地図を片手に、道に迷いながら、ひとに聞きながら目的地にいったものである。

いまでは、スマホGPSを使って、ナビゲーションしてくれる。海外でレンタカーを使うときも、スマホはネット接続しないでも、GPSとナビアプリで、道を知らなくてもどこにでも行ける。これは昨年格安スマホに換えてから、最大の感動である。

GPSは、スマホの現在位置を地球表面を回る通信衛星の信号から計算して、緯度経度で教えてくれる技術である。ナビは、目的地の緯度経度と現在位置の緯度経度の差分を、道路の線分情報から経路に変換してくれるソフトウェアである。昔の映画でいえば、007の世界である。

これを軍事利用すれば、テロリストの車に発信機をつければ、移動中の車にピンポイントでミサイルを当てる事ができる。テロリストの車の緯度軽度がわかるから、ミサイルにナビソフトいれておけば、車がどんなに経路変更しても、リアルタイムに経路を再計算し、到達目標に的中できる。

自動運転にもナビは使われるが、こちらは道の線分情報とは別に、障害物を避けながらハンドル操作とアクセル・ブレーキ操作をする技術が必要になる。

道路の状況をセンサーで認識分析することになる。センサーで認識してから、判断までの時間がかかると、操作が遅れる。さらに、センサーから操作までの期間の間に、別の障害物が発生すると、どちらを優先させるべきか、コンピュータは迷う。

人間でも、とっさの判断は誤る場合がある。

自動運転はあくまでも補助的な機能と考えた方がよさそうである。あるいは、レール上を走る車か、専用道路を走る車に適用できそうである。

駆動方式も、ガソリンエンジンディーゼルエンジン、水素エンジンとエンジンを使うものと、ハイブリッドやEVのようにモーターを使うものがある。

環境からすると、水素エンジンやEVのように電気で走る車になっていくのが当然の流れである。ただ、EVは充電に多量の電気を使うので、EVのために原発にするのは時代に逆行し、充電のために、家庭ごとに環境エネルギーを利用した発電機を備える方向がベターであろう。それが難しければ、EVの利用時間を決めて、それ以外は公共用の電気バスに乗るような社会に移行すべきであろう。

車は何故乗るのか? 

運転する楽しみを奪わずに、好きなところに環境を損なわずに安全にいけることが究極の目標になる。

そこを行き着くには、どのような車社会になるのか、次の回で考えたいと思う。

 

TaoChat@876編集後記

今回は「孫子」で行こうと今朝決めました。

無形の戦略が、虚実篇に出ていました。

無形の戦略が今活きているのはどこだろうといろいろ考えました。

何を考えているかわからない人って、意外に強いよなあとか。

身近な人に焦点をあてて書いてみようかと考えているうちに、もっと身近な話題にのぼるニュースは?と思いつきました。

前々からグアムにミサイルを撃ち込むと騒いでいる北朝鮮

なんで核兵器開発をおかまいなく続けていられるのか?

そこにはアメリカの戦略と中露の戦略がぶつかり合い、アメリカの甘い対応がそれを招いたことを知りました。

無形の戦略が今活きているのは、北朝鮮じゃないかという視点で書いたのが今回です。

何を考えているのかわからない国が北朝鮮で、その無形戦略が今活きている。

何を考えているのかわからない人で言えば韓国とアメリカの大統領。

そちらは国民が見捨てれば決着がつくが、北朝鮮のほうは、国民はとうの昔に見捨てられているので、どうしようもない。

それに、北朝鮮は、朝鮮戦争という歴史がついてまわり、北朝鮮を支援する中国とロシアが抜け道になるので、始末が悪い。

6カ国協議で、アメリカが中国に主導権を渡したのも失敗。

北朝鮮テロ支援国家リストから外したのも失敗。

すべてにおいて北朝鮮の無形戦略を甘く見ていたのが、今の問題に至る。

国際政治において、外交の失敗は自国に帰ってくる。

拉致問題も、日本から容易に連れ去る事ができたという観点が忘れられている。

工作員が容易に入国でき、日本の海岸に工作船が容易に近づけたという警備の甘さがそのまま現在にもつながる。必要があれば、北朝鮮は今でも人的資源を日本から連れ去る事ができる。拉致問題は過去で終わらないというのが自分の見方です。

話が孫子から国際政治になってしまいましたが、北朝鮮は、アメとムチが通用する国ではないことをアメリカはもっと早く知るべきでした。

韓国は、真剣に朝鮮統一を考えるべきです。

西ドイツと東ドイツが併合して民族が統一されたように。

北朝鮮に併合されるか北朝鮮を併合するかわかりませんが、民族を統一して、東アジアの三極の一つとして、安定な均衡関係を保つために貢献すべきです。

 「孫子」の言葉を発端に、朝鮮半島の安定化まで話が膨らみます。

中国の古代思想は、いまも活きることがよくわかります。

古代中国の春秋戦国時代に、存亡の時どう生きるべきかのアイディアはすでに出尽くされた感がありますね。

 

車社会の行く末その2

免許をとったのは、就職後辻堂の北に位置する湘南ライフタウンに住まいをもってからである。会社まで車だと15分でいけるが、バスと電車とバスで1時間半はかかってしまう。そんな陸の孤島では自動車が必要になる。当時はマニュアル車で教習を受け、仮免に1回落ちて、数十万かけて免許をもらった。入社後8年目くらいに米国西海岸に駐在となり、州の免許をとったが、そちらは15ドルで免許がとれた。この違いは何なんだと当時も今もおったまげている。

車は、家内の実家からマツダの中古ファミリアをもらった。こちらも団地横の路駐である。こちらは、クーラーもラジオもついており、快適な通勤生活を送った。運転に慣れた頃、日産サニーのマニュアル新車を買った。当時は大衆車が技術的にも一番成熟していて安全だという認識があった。それに価格も当時の収入に見合っていた。学生結婚で入社したので、家族もちの車は、セダンで5人乗り大衆車に決まった。

米国西海岸の駐在時に乗った車は、会社から支給されたGM celebrity 1985モデルの新車だった。こちらはボディの鋼板が厚く、サニーに乗っていたドライバーからすると戦車のようで、ぶつけられても相手の車がへこむ感じがした。車内も広く、大人6人は乗れた。燃費が悪くてもガソリンがガロン(4L)で1ドル40セントくらいで気にせず遠距離ドライブができた。最長で、Calfornia からTexasまでドライブしたこともある。とにかく、ハイウェイは無料で、ハイウェイ近くにモーテルが必ずあるので、お金と時間と体力さえあればどこにでもいけた。アメリカで一番売れるのがジープやピックアップトラックSUVであることがよくわかる。頑丈でどんな道でも心配なく運転できることがベースにある。燃費とか小型とかいうのは、都会の話になる。ハイブリッドがもてはやされるのは、環境に配慮する西海岸やニューヨークのマンハッタンのTAXIになる。

逆にアメ車が日本で売れないのは、ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い国だからである。トランプ大統領がどんなに頑張ってみても、たとえアメ車の関税がゼロになっても売れないのは予想がつく。

アメリカは真の車社会で、運転が楽しくなる社会である。シェールオイルでガソリンがなくならない限り、EVには移行しない。TESLAが見ているのは中国である。人民が皆ガソリン車を持ち始めると、中国の都会は公害都市になるからである。今でもそうだが。

日本では車は費用がかかりすぎる。ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い日本は、ドライバーにとってストレスが多すぎる。高齢者の事故が多いので、高齢者社会には、車は自分で運転するのではなく、コンピュータが運転する車に乗るようになる。

帰国後、家の駐車場で、ルーフが真っ白に変色したサニーを見て驚いた。シートをかけずに放置したためか、1年半の間に塗装が劣化した。それに冷却水のタンクの水漏れもあり、トヨタカローラの新車を買うことにした。大衆車の選択は同じで、色も白を選んだ。米国でオートクラッチ車に慣れていたので、カローラもそれにした。車は使わないだけで痛むことを教えられた。

カローラは乗った車の中で故障が全くなく、一番安定した車だという印象を持った。今ではあまり見かけないが、当時は駐車場で自分の車がわからないほど、よく見かける車だった。その数年後、VWの車に乗り換え今に至るが、VWの故障の多さはトヨタ車の足元に及ばない。それなのに、何故VWの車に乗り続けるのか? デザインがシンプルで運転する楽しみがあるからだと思う。こちらの話は次回に回そうと思う。(その2終わり)