TaoChat@966編集後記

新緑が目にまぶしい。

日の光を受けて、青々とした葉を茂らせる姿は、生命力に満ちていて、見る人の心を豊かにしてくれる。

祖母といっしょに暮らしていたとき、といっても今から50年も昔のことだが、庭の色とりどりの草花をぼんやり見る事が好きだった。

緑という色は目に優しく、心を癒す効果があるように思う。

今回の言葉は禅語から拾った。

禅語の素晴らしさは、自然の風景の変化から、真理を悟るプロセスが読み取れるところである。

老子荘子も、自然の言葉を読み取ったものが多い。

過去は消せない。

過去は悪いことだけでなく、いいこともある。

楽しい思い出は、自分はひとりではないという思いに包まれている。

悲しい思い出は、自分がつまはじきされ、孤独に怯えた思いに包まれている。

人は過去に犯した過ちを忘れようとする。

自分に言い訳をして、正当化しようとする。

しかし、自分を欺くことはできない。

そこまでは、一般的な解釈だが、禅語にはその先があるようだ。

ネガティブな過去も人生の糧になるということだ。

ネガティブな過去を無理に否定するのではなく、それを肯定し受け入れ、今後の行動の糧にするという点である。

水が濁るのはだれもが経験すること。

濁ったあとに、どう行動して、ポジティブに生きるかが、禅語の語る極意のように感じた。

池袋の母子の命を奪った車の暴走事件から一ヶ月が経つ。

加害者は入院してから、被害者家族に対面せずに手紙で謝意を示しただけ。

息子に電話はできて、弁護士と今後の対策を相談できても、被害者家族と対面はできない。

自分の運転ミスを認めず、車の欠陥を主張する。

これらの行為に、誠意のかけらも見えない。

事故当時の状況を知っているのは自分だけであり、自分を欺くことは出来ない。

今回の言葉は、過去の過ちを否定して、自分を欺きつつ、人生を終えようとしている人々に贈りたい。