新緑が目にまぶしい。
日の光を受けて、青々とした葉を茂らせる姿は、生命力に満ちていて、見る人の心を豊かにしてくれる。
祖母といっしょに暮らしていたとき、といっても今から50年も昔のことだが、庭の色とりどりの草花をぼんやり見る事が好きだった。
緑という色は目に優しく、心を癒す効果があるように思う。
今回の言葉は禅語から拾った。
禅語の素晴らしさは、自然の風景の変化から、真理を悟るプロセスが読み取れるところである。
過去は消せない。
過去は悪いことだけでなく、いいこともある。
楽しい思い出は、自分はひとりではないという思いに包まれている。
悲しい思い出は、自分がつまはじきされ、孤独に怯えた思いに包まれている。
人は過去に犯した過ちを忘れようとする。
自分に言い訳をして、正当化しようとする。
しかし、自分を欺くことはできない。
そこまでは、一般的な解釈だが、禅語にはその先があるようだ。
ネガティブな過去も人生の糧になるということだ。
ネガティブな過去を無理に否定するのではなく、それを肯定し受け入れ、今後の行動の糧にするという点である。
水が濁るのはだれもが経験すること。
濁ったあとに、どう行動して、ポジティブに生きるかが、禅語の語る極意のように感じた。
池袋の母子の命を奪った車の暴走事件から一ヶ月が経つ。
加害者は入院してから、被害者家族に対面せずに手紙で謝意を示しただけ。
息子に電話はできて、弁護士と今後の対策を相談できても、被害者家族と対面はできない。
自分の運転ミスを認めず、車の欠陥を主張する。
これらの行為に、誠意のかけらも見えない。
事故当時の状況を知っているのは自分だけであり、自分を欺くことは出来ない。
今回の言葉は、過去の過ちを否定して、自分を欺きつつ、人生を終えようとしている人々に贈りたい。