車社会の行く末その3

VWの車に買い換えたのは、国産車に乗り続けたので、ドイツ車に乗りたいと思ったのと、デザインが気に入ったためである。

VentoのブルーメタリックのAT車に乗った。セダンでトランクも大きく、ドライブ旅行に向いている。高速運転でもエンジン音が大きくなく、ハンドルも安定している。車幅も家の駐車場にきりきり入る。シートも硬めで疲れない。

運転する楽しみが湧いてくる車だった。燃費がいいわけでもなく、故障が少ないわけでもない。

故障はむしろ多かった。一番ひどいのは、女房が運転したときでハンドル操作が効かないトラブルがあった。下り坂の急カーブでなかったのが幸いして大事故はおこならなかった。ディ-ラーに聞くと、ボルトが折れて、パワステが利かなくなったとのこと。ひとの命をあずかる車で、ハンドルが回らなくなるとは納得がいかず、ボルトが折れた原因をドイツの本社に問い合わせてもらった。そうしたら、メキシコの工場で生産した車で、トルクをかけすぎて締めたボルトで、他国でも同様のトラブルが出ていたと報告があった。そんなことは、日本でもリコールをかけてボルト交換すれば済む話でなぜしないかと叱責したのを覚えている。

故障でいえば、パワーウィンドウのワイヤが切れて、真冬のドライブで窓を開けて高速を走ったこともある。その前のカローラもパワーウィンドだったが、そんなトラブルは一度もなかった。パーツの寿命が短いのか、設計が悪いのか、とにかく故障が多く、メンテ費用がかかる。いま、Poloに換えて7年経つが、故障はウィンドーウォッシャのチューブが壊れたくらいで、故障は少なくなってきている。

Ventoはもう生産されていないが、2003年当時から比べると、VW車もかなり増え、Beetle, Golf, Polo, Upも道でよく見かけるようになった。最近ではCooper人気も高まっている。

車に長く乗ってきて、驚く事にエンジン制御がコンピュータで行われるようになり、エンジンの不具合は、コンピュータ動作で説明を受けるがよくわからず、ディラーもプログラムを書き換えたで済ませる事が多い。一言でいえば、ブラックボックス化している。そうなるとコンピュータが暴走を始めると何が起こるかわからないわけで、空恐ろしい乗り物に乗っている気分になってくる。

今後はマニュアルに切り替えられる車も必要になる。パワーウィンドーの故障のときは、窓はマニュアルのほうがよいとさえ思った。

もうひとつ感動する点は、ナビである。昔は地図を片手に、道に迷いながら、ひとに聞きながら目的地にいったものである。

いまでは、スマホGPSを使って、ナビゲーションしてくれる。海外でレンタカーを使うときも、スマホはネット接続しないでも、GPSとナビアプリで、道を知らなくてもどこにでも行ける。これは昨年格安スマホに換えてから、最大の感動である。

GPSは、スマホの現在位置を地球表面を回る通信衛星の信号から計算して、緯度経度で教えてくれる技術である。ナビは、目的地の緯度経度と現在位置の緯度経度の差分を、道路の線分情報から経路に変換してくれるソフトウェアである。昔の映画でいえば、007の世界である。

これを軍事利用すれば、テロリストの車に発信機をつければ、移動中の車にピンポイントでミサイルを当てる事ができる。テロリストの車の緯度軽度がわかるから、ミサイルにナビソフトいれておけば、車がどんなに経路変更しても、リアルタイムに経路を再計算し、到達目標に的中できる。

自動運転にもナビは使われるが、こちらは道の線分情報とは別に、障害物を避けながらハンドル操作とアクセル・ブレーキ操作をする技術が必要になる。

道路の状況をセンサーで認識分析することになる。センサーで認識してから、判断までの時間がかかると、操作が遅れる。さらに、センサーから操作までの期間の間に、別の障害物が発生すると、どちらを優先させるべきか、コンピュータは迷う。

人間でも、とっさの判断は誤る場合がある。

自動運転はあくまでも補助的な機能と考えた方がよさそうである。あるいは、レール上を走る車か、専用道路を走る車に適用できそうである。

駆動方式も、ガソリンエンジンディーゼルエンジン、水素エンジンとエンジンを使うものと、ハイブリッドやEVのようにモーターを使うものがある。

環境からすると、水素エンジンやEVのように電気で走る車になっていくのが当然の流れである。ただ、EVは充電に多量の電気を使うので、EVのために原発にするのは時代に逆行し、充電のために、家庭ごとに環境エネルギーを利用した発電機を備える方向がベターであろう。それが難しければ、EVの利用時間を決めて、それ以外は公共用の電気バスに乗るような社会に移行すべきであろう。

車は何故乗るのか? 

運転する楽しみを奪わずに、好きなところに環境を損なわずに安全にいけることが究極の目標になる。

そこを行き着くには、どのような車社会になるのか、次の回で考えたいと思う。