13本の毒矢

ジェフリー・アーチャーの「13本の毒矢」を読み始めた。

アマゾン古書で求めた平成4年発行のもので、紙が茶色に変色している。

ページを開けると、プーんと鼻の先にかび臭い匂いが漂う。

電子書籍では味わえない、古書を読むというリアルな実感がある。

「ワンナイトスタンド」が面白い。

幼馴染が同じように大学を出て、同じように結婚して、同じような家庭を持ち、ニューヨークで同じ女に出会い、同じように恋に落ちる。

どちらが先に彼女を落とせるか競う。

短編ですが、次々にストーリーが展開していく。

落語のように、落ちもちゃんとある。

アーチャーは短編の天才かもしれない。

そのまえの、「昼食」も面白かった。

主人公の成功を願いつつ、ひやひやしながら、主人公の綱渡りをそばで味わう。

主人公の予想が次々と裏切られるところが、アーチャーの腕の見せ所。

これも落語と同じく落ちがすごい。

アーチャーは自分の経験を、さらにひねりを加えて、書いているようだ。

彼の人生が、政治家であり、偽証罪で服役した過去もあり、大きな波に飲み込まれながら、その苦い経験を「プリズンストーリー」として、また小説にしてしまう。彼の不屈のしぶとさとウィットとユーモアに、英国人の底力を感じる。

 

 

衆議院選挙のゆくえ

衆議院選挙の公示の前に、各党が公約を発表した。

大義のない衆議院解散で、どの党を選べばよいか、選択に困っている有権者が多いと思われる。

自民党公明党は、過半数を占めて、思うように法案を通したいと考える。

有権者としては、思うように国会運営を操られて、国を変な方向に導かれることを恐れる。

憲法改正も何をどう変えるか、明らかにしない。

明らかにすると、選挙戦でそこを衝かれるからぼやかす。

消費税増税赤字国債を先送りして、教育無償化の財源にあてる。

教育費を無償化にするより、何に課税するかをもう少し丁寧に検討して欲しい。

書籍や新聞など、子どもの知育育成に貢献する物品・サービスの無税化を進めたほうがわかりやすい。

希望の党は、企業の内部留保に課税する公約をあげている。

安倍総理は企業に甘い。消費が増えないのは、賃金が上らないので、企業に賃金アップをお願いしているだけ。企業はそれに耳を貸さずに、内部に溜め込むだけ。安倍さんの言葉は現状では無視され、日銀は赤字国債を買い続け、市中に金をばら撒いている。

お金をばら撒いても、消費者のふところには入らず、購買力に活気はない。

従って、企業の内部留保に課税しようとする案に賛成したい。競争力ダウンにつながると経営者は言うが、競争力アップのために投資している企業が何社あるというのか。

アベノミクスが破綻しているのは目に見えているが、追加策に窮している。

原発依存は、自民党公明党お家芸であるが、もうすこし真剣に新エネルギーへのチャレンジ企業に思い切った投資をしてもよいのでないかと思う。

既存企業への執着が与党は強すぎる。既存企業が与党の支援団体になっているので、利益誘導型の政治をしているとみられても仕方がない。

一方、野党は、公約に何を掲げているのかというと、消費税増反対、原発反対、憲法改正反対と大衆迎合型の戦法を続けている。

与党も野党も、何をどうするためにどういう準備をするのか、具体的な案を提示しない。財源がなければ何もできないのは当たり前。

しかし、企業には金が溢れて内部留保にとどこおり、一方超高齢化社会になり介護医療福祉に金がかかる今となっては、財源は、新税導入でまかなうほかはないと思う。

一番やっちゃいけない策は、使用目的のわからない税の徴収である。

消費税増税は、あくまでも国の借金を減らすために目的を限定してほしい。

官僚のやりそうなところが、税金の流用である。

与党野党とも、日本にとってリスクは何で、それを回避するために新税をどのような目的でどう定めるかを、選挙のときに提示して欲しい。

玉虫色の公約では、有権者は踊らない。

この選挙で大事にしたいのは、与党の暴走を許さないことと、公約実行時の有権者の痛みと、有権者が得る利益(有形無形を問わず)をはっきりと掲げる党や候補に投票することである。

 

 

 

 

 

 

TaoChat@882編集後記

昨夜は大分寒くてダウンを羽織った。

今週一週間は、ノーベル賞の発表が月曜から続き、文学賞では、カズオ・イシグロ氏が受賞された。カズオ・イシグロ氏を知ったのは、「私を離さないで」のドラマだった。なかなか面白く、小説でも読みたいと思って、書店に何回か足を運んだが、そのままになってしまった。英語で書かれたので、原文で読みたいと思ったのか、理由はわからない。村上春樹さんの受賞は先延ばしになっているようだ。残念だが、氏には引き続き、面白い作品を出してほしい。ノーベル賞は過去の業績に対し与えるもので、受賞者はその後作品を出さなくなる傾向にある。

村上さんの凄いところは、これからもよい作品を出し続けるポテンシャルをもった方だというところである。ノーベル賞は誰が推薦人になるか、どの地域で執筆するか、年齢はどうか(受賞前に死んでしまうことを考慮)とか、いろんな要因で決まるので、作品自体というより、政治的に決まる傾向が強い。従って、勲章の要素が強い。

今回の言葉は、カズオ・イシグロ氏の言葉より、自分がノーベル文学賞に推薦したい、ポール・オースターの言葉を選んだ。

カズオ・イシグロ氏の受賞理由の言葉の中で、氏の小説が、“uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”とする所が、ポール・オースターの小説と共通するところがあると思った。

世界とつながっていると思っている事が幻想に過ぎない。

幻想の下にある深い淵とは何か?

世界の人々とわかりあえるようでわかりあえない。

その理由が、ポール・オースターの言葉につなかるような気がする。

人間は、ひとつの自己で語れるほど単純じゃない。

複数の自己をもったひとりの人間が、時と場所によって、自己を使い分けている。

その人間同士が、変容する自己をぶつけあうのが現実の世界。

"We were always in the right place at the wrong time, the wrong place at the right time, always just missing each other, always just a few inches from figuring the whole thing out.”

--- Paul Auster, Moon Palace

「われわれは間違った時間に常に正しい場所にいて、適切な時間に常に間違った場所にいました。常に互いを見失って、全体像を見出すのにいつもあと一歩の所にいました。」

幻想の下にある深い淵を表現すると、この言葉になると思います。

今回のポール・オースターの言葉は、小説を読むたびにかみ締めたい言葉です。

TaoChat@881編集後記

日の長さも短くなり、空気も澄んできて、虫の鳴き声がもの悲しく感じられる季節になりました。秋の和歌が欲しくなる季節でもあり、いにしえの人々の気持ちをたどることにしました。

文教堂のカバーのついた岩波文庫の「古今和歌集」の離別歌をめくりました。

平安時代も江戸時代もまた現代も、見送るひとと見送られるひとの気持ちは変わりません。今回の和歌にもそんな気持ちの交換がみてとれます。

原稿を書いているうちに、芭蕉の「奥の細道」が思い出され、書き加えてしまいました。昔のひとの旅も、自発的な旅とひとから頼まれた旅があるようです。

ひとから頼まれた旅は、きっとメールなどない時代ですから、言づけを頼まれたり、ものを届けるのを頼まれたりすることもあったでしょう。そんな旅は、途中でやめたくてもできません。用事を済ませるまでは帰れません。

自発的な旅は、気分が楽でいつでも止められます。

今回の歌の詠み手の源実さんはどっちの旅だったでしょう。

ことばをそのまま受け取れば、行くのがつらいから帰ってしまおうとなりますが、そこは芭蕉的な感慨を読み取りたくなります。

そもそも大勢の見送りがあるということは、ひょっとしてもう会えないか、長い間会えないことが前提です。行くのがつらいから帰ってしまおうという気持ちは見送りの別離の念を受けた感情です。

帰りたいのはやまやまだが、自分で決めた旅なんだからという思いがある。

そう簡単に初心は曲げられないという思いがあるはず。

芭蕉は、済んでいた住居をひとに譲り、旅に出ている。

もう帰れないことを前提に江戸を出ている。

原稿も、老荘的な人生への覚悟を絡めて、綴っています。

折りしも衆院選が決まり、民進党の分裂が「ひとやりの道」で余儀なくされました。

民進党の面々がこの歌を詠んだときどのような思いになるのか、想像してみました。

政治とは、「ひとやりの道」そのもの。自分の都合で解散できるのは総理のみ。

「ひとやりの道」のなかで、どう選択して政権をとるかが政治家なら、選んだ道を曲げずに、有権者に問うのが選挙。 死出の旅になるか、希望の道に至るかは、自分しだい。選択した以上は徹底抗戦と、チェゲバラの気持ちで選挙を戦ってほしいとの思いで締めました。

TaoChat@880編集後記

今週の出来事を振り返ると、トランプ米大統領国連演説で、北朝鮮への経済制裁を断固実行する意志を明らかにし、日本では安倍首相が衆議院を解散し、選挙を行うと発表しました。仕事人内閣を発足させたのは8月頭ですから、仕事人に仕事をさせずに選挙するのは、横暴さが目に付きます。

狙いは、消費税増税憲法改正のため、国会で多数を占めるためと想像がつきます。選挙のために、どのような将来展望を語るかわかりませんが、経済優先政策より、この国をどのように再建するかの展望を語って欲しいと思います。

首相就任期間にできることは限られます。自分が選挙民の賛同を得られる期間に、どのような基礎を築くのか、長期展望を語ってもらいたい。

日本の政治家は、目先の票獲得のため、見えている問題の解決策を語って見せます。実際当選すると、党利党略の下で語った解決策など何処吹く風です。

その点で言えば、明治の政治家のほうが、この国の再建のために、心血を注いだといえます。富国強兵し、帝国主義の列強に加わるという長期展望は間違っていませんでした。そのお陰で産業は発展し、戦後の急速な回復をなし遂げられました。

今回のメルマガは、目先のことで思い悩む愚かさを反省し、もっとスケールの大きな見方で今の問題を考え直してみようという、視点で、自省録から言葉を選びました。もちろん、自省録の言葉は、個人的なレベルでの助言ですが、政治家や官僚も、もっと長期的な視野でこの国の未来を考えてほしいというのが私からのメッセージです。

ひとつの例が、アメリカのアル・ゴアです。

彼はアメリカの政治家ですが、情報スーパーハイウェイ構想を唱え、インターネット普及に貢献し、地球温暖化問題を世界的に啓発し、長期的な視野で地球の未来を考えてきました。

このような政治家が日本にいるかというとNOです。

アメリカの協力なしに何もできないというのが、日本の政治家です。

日本を改造していこうと構想を出せたのは田中角栄だけです。

核の傘を乗りこえた防衛論を提案できる政治家が何故いないのでしょうか?

国の借金を先送りして、今できることしかしない。年金負担も、将来の若者に先送りする。

これでは、国民が将来の不幸な子どもを生まないように考えるのは当たり前。

目先のことであくせくする、我々と同レベルの政治家が大半というのが、現状なようです。

非核国家がなすべきこと

日本の非核の道は明らかになった。

もちろん、持たず作らず持ち込ませずは当たり前。

核の傘も捨て去る。

核以外に自国を守る手段を多く持つ。

有効な通常兵器を持つこともあるが、最悪の状況に備えることが必要である。

核攻撃を受けても、被害が最小になるように手立てを打つことである。

国の機能を分散化して、一都市を攻撃されて、国が滅ぶようなリスクを減らすことである。東京の一極集中では、核攻撃で、立法・行政・司法、経済が一度に破綻する。地方に機能分散することは、冷戦時代から言われているが、核の傘のもとで、平和ボケしていて、何も手をつけていない。

少子化の問題だって、こども世代が地方に分散すれば、生活費も安くなり、解決の糸口も出てくる。官僚が東京に集中するから、そんなアイデアも出てこない。

教育の無償化の前、教育の地方分散を考えた方がよい。

非核国家でいくと腹を決めると、いままで見えてこなかった色んな課題が見えてくる。

東京近郊で原発事故が起きたら、エネルギー政策も抜本的に変わったかもしれない。

官僚の目の色が変わらないとこの国はかわらないのは、事実である。

年金支給漏れといった不手際がいまだにニュースになる。

人工知能で置きかえられなければならないのは、官僚の頭かもしれない。

日本の核兵器保有について

物騒な話だが、真剣に考えないといけないことである。

核の傘」といいつつ、破れ傘になっている。

3日前のBSプライムニュースで、アメリカの評論家が面白いことを言っていた。

きわめて的を得た表現をした。

「日本は核を持つことに意味がない」と。

その理由が的を得ている。

「アメリカや中国やロシアは、国土が広いから、1発や2発、核爆弾を落とされても、それに勝る反撃を核で行える。しかし、日本は国土が狭いから数発で消滅するので、防衛としての核は成り立たない。」と。

核による先制攻撃は成り立たない。しかし、防衛としての核も、国土が広く、反撃する能力がないと成り立たない。

つまり、北朝鮮から核攻撃された日本は、核で反撃する可能性はないと結論している。

可能性のないものに、多額の投資をするのは無駄である。

きわめて冷静な判断に感動した。

北朝鮮から核攻撃されたら、骨だけは拾ってやると言われたような感じでした。

迎撃ミサイルのためし打ちさえ、高額で行えないと防衛関連の閣僚が言っていたが、核保有には莫大な経費がかかるとそのアメリカの評論家が言ったので、日本の核兵器保有は無謀であり、狂気の沙汰といえるようだ。これが核保有国のアドバイスである。

そもそも、被爆国である日本は核保有という方針変更ではなく、核の殉教者としての歴史を前面に押し出し、「破れ傘」を捨て去り、核兵器禁止条約にまい進したほうがよさそうである。「核の傘」で守れるのは、反撃が可能な大国に限られる。

保有国からすると、核の傘はそんなに大きくなく、核攻撃から守れるのは自国だけという結論になっている。

アメリカの評論家がさらに言ったのは、核兵器以外に有効な通常兵器はいくらでもあるから、アメリカから買って日本を防衛すればよいとのことだった。

北朝鮮の核保有も容認しかねない態度だったが、核を利用した兵器ビジネスに関心があるようでもあった。

石破さんが、核持込の議論を始めた方がよいと言っているが、核持込は、拳銃の所持と同じで、北朝鮮の核攻撃をうける可能性を増すこと限りない。同じ撃たれるなら丸腰で撃たれた方がよい。非核国家として潔い死に方をした方が、国際社会の同情が得られる。これが核保有国からのメッセージであった。