車社会の行く末その5

② 好きなところに行ける。

から話を続けたい。

舗装道路からオフロードに出るには、ジープやピックアップのような車高の高い車が望まれる。水たまりや凹みで、エンジンが止まったり、車体を擦ることがないように。

水上を走れる車や、空飛ぶ車も実際に開発されている。簡単に言えば、ゴーカートにドローンの羽をつければ、空飛ぶ車はとりあえず作れる。

路上に話を限れば、ナビは一応好きなところに車を導いてくれる。

従って目的はすでにかなえられているともいえるが、精度が悪い。道の工事や迂回路にタイムリーに対応していない。車がネット接続されていないので、自分が持っているスマホをナビ代わりに使っているのが現状である。

車の位置がGPS制御されていれば問題がない。メルセデスベンツには盗難用にGPS発信機がついていて、どこに車があるか把握できてるらしい。

このデータが警察で把握できれば、レーダを使わなくても、所定区間での平均速度から速度違反の検挙もできるし、駐禁場所に駐車してることを自動検知できるので、見回りのおまわりさんは不要になる。将来いずれの時期に、車にはかならずGPS発信機をつけることが法令化されるだろう。車のマイナンバーである。

特にEVの世界になると、充電場所の込み具合や、充電時期の警告も、車両ごとの判断ではなく、ネットワークに車が組み込まれ、ネットワークから充電時期と充電場所の指定が受けられ、待ち時間なしに充電が受けられるようになる。

好きな所にいくと書いたが、出版数が増えてくると、どの本が好きかわからなくなるように、どこに行きたいか迷うようになる。

こういうところに行きたいと幾つかの条件を車に提示して、車が、過去のドライブ履歴をネットからひいてきて、ドライバーに提示するようなシステムも求められる。

今回はこんなところで終わりにする。

次回は、③ 環境を損なわない、について述べたい。

TaoChat@879編集後記

台風が近づいていることで今朝は雨が降っている。

今週は、いろんなことが多すぎた。

100mスプリントで日本人初の9秒台が出たのが9/9。

国連安保理で、対北朝鮮制裁決議を全会一致で採択したのが9/11。

北朝鮮のミサイルが発射されグアムに届く距離を飛んだのが9/15.。

何をテーマに書こうか迷ったが、まずは旧約聖書をめくり、言葉を選ぶことから始めた。戦争というのは、近代兵器がものをいう。コンピュータとセンサーで弾道を制御しながら、ターゲットにあてる。まさに、バトルゲームの世界であり、ミサイルを撃つ本人はバーチャルの世界で航跡を追う。

しかし、ミサイルを当てられた現場の人間は、生身の人間で、爆風と炎で生から死の世界に一瞬に追いやられる。人間は高度の脳をもった動物だが、死ぬときは、血を流し、体液を流し、動物として死んでいく。神はいう。戦争がなくても人類は滅びうる。巨大な惑星が地球に衝突すれば、恐竜が全滅したように、人類の歴史も一度リセットされる。何も、人間同士が核戦争で自滅しなくてもよいと。

今回取り上げた「コヘレトの言葉」にはそんな意味がこめられていると感じた。

TaoChat@878編集後記

今日は晴天で気持ちがよい。

今回の言葉は老子の「上善若水」である。

星に生命体が存在するかどうか、まず水の存在を探す。

生命が進化するには遺伝情報が必要で、それを支える母体は有機物質で、それを生み出すためには、水が必要になる。

私に水の働きにならうことを教えてくれたのが老子です。

毎年夏には、水の事故が報道されます。

体が水でできているのに、何故、体の外にある水で命を落とすのか?

水は非情だからです。水と同化して魚になれば、決して溺れることはない。

古代エジプトの時代には、ナイル川は毎年氾濫して、多くの民と家が流された。

その一方で、肥沃な土地も河口にできた。

水が支える生命は何も人間だけでなく、地球規模で生命を支えている。

人間は、その営みの恩恵にあやかっている生命の一つに過ぎない。

これを老子は言っている。スケールが人間界にこだわる儒家とは違い、宇宙規模になるところが、すごいところである。

核兵器を使って自分の国だけを守るという防衛思想が、どれだけ狭い考えかがわかる。

頭が古代中国の春秋戦国時代のままで、生き残ることができればどんなことでもやる弱小国と同じである。核兵器を使えば、直接被爆しなくても、水を介して地球規模で生態系の破壊が進むという考えが老子の思想である。

核弾頭ミサイルを迎撃するためのミサイル開発や、核攻撃を受けたときの核シェルタ開発をいくらやってみたところで、被爆で即死しなくても、核汚染した生態系から生きる糧を得ている人間はもっと悲惨な死に方をすると考えるのが老子である。

地球を周回するスペースシャトルからの映像をY-TUBEでみる事ができる。

各国の上で走る閃光は、いなずまの光である。

このいなずまの光が核爆弾の閃光と考えるとぞっとする。

核時代のノアの箱舟は、もはや宇宙の人工衛星に逃れて、核汚染が薄まるのを待つことになるのかもしれない。

国民の平和のために、核兵器核の傘)を利用すると唱える政治家は、核の犠牲になる国民のことは考えていない。その理由は、防衛の兵器のことに関心があり、核攻撃を受けたときの対策を考えていないからである。政治経済を東京一極に集中している限りは、広島原爆の10倍の爆弾を東京に落とせば、日本は壊滅する。首都直下大地震を人工的にやったのと同じである。

迎撃ミサイルの購入より政治的にもっとやるべきことが他にあると思われる。

核兵器で攻撃されたとき、水のように底辺で国を支えている国民の被害を最小限にとどめる対策は、首都機能の分散化以外にない。

老子の水の思想は、以上のように多岐におよぶ。

 

北朝鮮の水爆実験

何も皇室の結婚発表の日にやらなくてもいいのに。

政府の厳重な抗議ばかりでは、何も効果はない。

不思議なのは、中国が北朝鮮核兵器開発を止めない事。

中国との国境近くでやれば、激震でビルの外壁がひび割れするだけでなく、水資源の放射能汚染もあるだろうに。だが黙認している。

表向きは「国際社会のルールに従ってやめて下さい」と声明は出しているようだが、裏では、食料や燃料も北朝鮮に送っている。

日本から見ると、悪がきを前面に押し出して、力のアメリカより、中国がこの問題を解決する主導権を持っていると暗黙のメッセージを送っているように見える。

国連での非難や経済制裁動議は何も効き目はない。

中国とロシアが拒否権を発動するからである。

開発スピードの速さは、資金調達ルートだけでは説明できない。核開発技術を中国とロシアやパキスタンなど、反米国から入手しているためと思われる。

共産国と独裁国は、表向きの顔を裏の顔を使い分けている。

ベルリンの壁が崩壊したのは、民衆の力による。

共産国と独裁国の民衆は、自国の顔さえ見る事が許されない。

 

車社会の行く末その4

車社会の究極の目標は、

① 運転する楽しみを奪わない。

② 好きなところに行ける。

③ 環境を損なわない。

④ 安全に行ける。

と前回で挙げた。

① 運転する楽しみを奪わないとは、人間と車の関係が、人間が主、車が従の関係を維持しつつ、人間と車と道路(経路)が対話をしながら、目的地に行けると楽しみと考える。 車に自動運転させて、人間が寝ていても目的地に行けるというのは、運転する楽しみを放棄した状態を意味する。

運転するドライバーが一番ストレスを感じるのは、渋滞時である。

ブレーキとアクセルを交互に踏みながら、車間を詰める。

渋滞時の操作をすべて自動運転にするのもよい。これは、車だけではどうにもならず、自動運転車レーンを作り、車両同士で相互通信を行いながら、一定車間距離で、集合移動する。割り込み車を防ぐため、別レーンにする。

道路標識は高速の場合、遠方から把握できなけばならない。ナビを使わなくても、道路標識のデータを遠方から電子的にキャッチして、事前に確認できれば、途中で車線を変えたり、ブレーキを踏んだりすることはなくなる。

車と道路が対話するとはこういうことをいう。

人間が主、車が従の関係は、何でも自動にしないことである。

パワーウィンドウは、手動も可能にできるとよい。

ミラーも手動で収納できればよい。

冠水のとき、エンジンが水につからなくても、排気パイプから水が入ってエンジンは止まる。何故、その対策がされていないのか不思議になる。排気パイプの終端はエンジンよりも高くして、水が入らないようにすれば、多少冠水しても通れる。

運転する楽しみは、加速性と静音に求められる。その2つをEVは備えている。

ただ、充電に時間がかかると旅行の楽しみは減る。バッテリーはカートリッジにして、スタンドで充電済みと交換できるようなシステムが欲しい。バッテリーのレンタル方式である。太陽光も使えるなら、そちらも利用したい。

運転する楽しみは、操作パネルや車内の快適性にも求められる。

操作パネルは、ジェット機の計器盤じゃないから、シンプルなのが一番よい。アラームが発生したときだけ、どこが悪いのか音声で説明した欲しい。ハンドブレーキがおろし忘れで警告音は出ても、何が問題か車は語らない。車との対話は、スマホ音声認識と同じ事が可能である。グーグル車には当然ながら、AI車ができると思われる。

彼らの課題として、運転する楽しみをどのように残すかがある。

今回は、①について述べることで終わった。

②以下は次回で説明したい。 (その4終わり)

 

 

TaoChat@877編集後記

昨夜は寒く、朝4時ごろ寒さで目を覚ました。

夏蒲団では足りず、厚い布団を押入れから出してかぶった。

今回は、荘子の言葉を選んだ。

2000年以上昔のひともよく考えたことがよくわかる。

今みたいにスマホやゲームアプリで暇をつぶす機会が多いと、考える事が減ってくる。

昔の人は、空を眺め、飛ぶ鳥の影を見つめて、この影は動いているように見えるけど、本当か?と考える機会にめぐまれる。

荘子の言葉をかみ締めながら、そんなことを思った。

物体とその影は、1対1で決まっている。

この関係は動かしようがない。

物体があらたな位置に動いたとき、前の位置の影はない。

物体の位置をそのまま影は写しているので、この関係は動かないという。

影が動いて見えるのは、アニメのようだと荘子はいう。

まさに、静止画のつなぎあわせで、自分が動いていると知る事ができる。

人間の脳は、情報量がオーバーフローしないように、情報量の少ない静止画の変化で、脳内で動きを作り出している。

ひょっとして、生きている自分、絶え間なく動いている自分の、生の実感も静止画で味わっているのではと思いつき、締めに使った。

蕪村の俳句はまるで天空から眺めた映像を17文字に落としていると時々書いているが、蕪村は、いろいろなアングルから光をあてて、映像を何枚かの静止画(言葉)に落とし込んでいるかもしれない。句を読むわれわれが、頭の中で静止画をつなぎ合わせ、映像を再現しているように思えてきた。

再現映像のほうは句を読む人の数だけあるわけで、蕪村が感じた映像より豊かな映像を生み出す可能性だってある。その可能性を残した表現のほうが文学的には優れたものであるかもしれない。

荘子の言葉は、生きがいという脳内処理にまで話を膨らませる機会を与えてくれた。

 

車社会の行く末その3

VWの車に買い換えたのは、国産車に乗り続けたので、ドイツ車に乗りたいと思ったのと、デザインが気に入ったためである。

VentoのブルーメタリックのAT車に乗った。セダンでトランクも大きく、ドライブ旅行に向いている。高速運転でもエンジン音が大きくなく、ハンドルも安定している。車幅も家の駐車場にきりきり入る。シートも硬めで疲れない。

運転する楽しみが湧いてくる車だった。燃費がいいわけでもなく、故障が少ないわけでもない。

故障はむしろ多かった。一番ひどいのは、女房が運転したときでハンドル操作が効かないトラブルがあった。下り坂の急カーブでなかったのが幸いして大事故はおこならなかった。ディ-ラーに聞くと、ボルトが折れて、パワステが利かなくなったとのこと。ひとの命をあずかる車で、ハンドルが回らなくなるとは納得がいかず、ボルトが折れた原因をドイツの本社に問い合わせてもらった。そうしたら、メキシコの工場で生産した車で、トルクをかけすぎて締めたボルトで、他国でも同様のトラブルが出ていたと報告があった。そんなことは、日本でもリコールをかけてボルト交換すれば済む話でなぜしないかと叱責したのを覚えている。

故障でいえば、パワーウィンドウのワイヤが切れて、真冬のドライブで窓を開けて高速を走ったこともある。その前のカローラもパワーウィンドだったが、そんなトラブルは一度もなかった。パーツの寿命が短いのか、設計が悪いのか、とにかく故障が多く、メンテ費用がかかる。いま、Poloに換えて7年経つが、故障はウィンドーウォッシャのチューブが壊れたくらいで、故障は少なくなってきている。

Ventoはもう生産されていないが、2003年当時から比べると、VW車もかなり増え、Beetle, Golf, Polo, Upも道でよく見かけるようになった。最近ではCooper人気も高まっている。

車に長く乗ってきて、驚く事にエンジン制御がコンピュータで行われるようになり、エンジンの不具合は、コンピュータ動作で説明を受けるがよくわからず、ディラーもプログラムを書き換えたで済ませる事が多い。一言でいえば、ブラックボックス化している。そうなるとコンピュータが暴走を始めると何が起こるかわからないわけで、空恐ろしい乗り物に乗っている気分になってくる。

今後はマニュアルに切り替えられる車も必要になる。パワーウィンドーの故障のときは、窓はマニュアルのほうがよいとさえ思った。

もうひとつ感動する点は、ナビである。昔は地図を片手に、道に迷いながら、ひとに聞きながら目的地にいったものである。

いまでは、スマホGPSを使って、ナビゲーションしてくれる。海外でレンタカーを使うときも、スマホはネット接続しないでも、GPSとナビアプリで、道を知らなくてもどこにでも行ける。これは昨年格安スマホに換えてから、最大の感動である。

GPSは、スマホの現在位置を地球表面を回る通信衛星の信号から計算して、緯度経度で教えてくれる技術である。ナビは、目的地の緯度経度と現在位置の緯度経度の差分を、道路の線分情報から経路に変換してくれるソフトウェアである。昔の映画でいえば、007の世界である。

これを軍事利用すれば、テロリストの車に発信機をつければ、移動中の車にピンポイントでミサイルを当てる事ができる。テロリストの車の緯度軽度がわかるから、ミサイルにナビソフトいれておけば、車がどんなに経路変更しても、リアルタイムに経路を再計算し、到達目標に的中できる。

自動運転にもナビは使われるが、こちらは道の線分情報とは別に、障害物を避けながらハンドル操作とアクセル・ブレーキ操作をする技術が必要になる。

道路の状況をセンサーで認識分析することになる。センサーで認識してから、判断までの時間がかかると、操作が遅れる。さらに、センサーから操作までの期間の間に、別の障害物が発生すると、どちらを優先させるべきか、コンピュータは迷う。

人間でも、とっさの判断は誤る場合がある。

自動運転はあくまでも補助的な機能と考えた方がよさそうである。あるいは、レール上を走る車か、専用道路を走る車に適用できそうである。

駆動方式も、ガソリンエンジンディーゼルエンジン、水素エンジンとエンジンを使うものと、ハイブリッドやEVのようにモーターを使うものがある。

環境からすると、水素エンジンやEVのように電気で走る車になっていくのが当然の流れである。ただ、EVは充電に多量の電気を使うので、EVのために原発にするのは時代に逆行し、充電のために、家庭ごとに環境エネルギーを利用した発電機を備える方向がベターであろう。それが難しければ、EVの利用時間を決めて、それ以外は公共用の電気バスに乗るような社会に移行すべきであろう。

車は何故乗るのか? 

運転する楽しみを奪わずに、好きなところに環境を損なわずに安全にいけることが究極の目標になる。

そこを行き着くには、どのような車社会になるのか、次の回で考えたいと思う。