TaoChat@882編集後記

昨夜は大分寒くてダウンを羽織った。

今週一週間は、ノーベル賞の発表が月曜から続き、文学賞では、カズオ・イシグロ氏が受賞された。カズオ・イシグロ氏を知ったのは、「私を離さないで」のドラマだった。なかなか面白く、小説でも読みたいと思って、書店に何回か足を運んだが、そのままになってしまった。英語で書かれたので、原文で読みたいと思ったのか、理由はわからない。村上春樹さんの受賞は先延ばしになっているようだ。残念だが、氏には引き続き、面白い作品を出してほしい。ノーベル賞は過去の業績に対し与えるもので、受賞者はその後作品を出さなくなる傾向にある。

村上さんの凄いところは、これからもよい作品を出し続けるポテンシャルをもった方だというところである。ノーベル賞は誰が推薦人になるか、どの地域で執筆するか、年齢はどうか(受賞前に死んでしまうことを考慮)とか、いろんな要因で決まるので、作品自体というより、政治的に決まる傾向が強い。従って、勲章の要素が強い。

今回の言葉は、カズオ・イシグロ氏の言葉より、自分がノーベル文学賞に推薦したい、ポール・オースターの言葉を選んだ。

カズオ・イシグロ氏の受賞理由の言葉の中で、氏の小説が、“uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”とする所が、ポール・オースターの小説と共通するところがあると思った。

世界とつながっていると思っている事が幻想に過ぎない。

幻想の下にある深い淵とは何か?

世界の人々とわかりあえるようでわかりあえない。

その理由が、ポール・オースターの言葉につなかるような気がする。

人間は、ひとつの自己で語れるほど単純じゃない。

複数の自己をもったひとりの人間が、時と場所によって、自己を使い分けている。

その人間同士が、変容する自己をぶつけあうのが現実の世界。

"We were always in the right place at the wrong time, the wrong place at the right time, always just missing each other, always just a few inches from figuring the whole thing out.”

--- Paul Auster, Moon Palace

「われわれは間違った時間に常に正しい場所にいて、適切な時間に常に間違った場所にいました。常に互いを見失って、全体像を見出すのにいつもあと一歩の所にいました。」

幻想の下にある深い淵を表現すると、この言葉になると思います。

今回のポール・オースターの言葉は、小説を読むたびにかみ締めたい言葉です。

TaoChat@881編集後記

日の長さも短くなり、空気も澄んできて、虫の鳴き声がもの悲しく感じられる季節になりました。秋の和歌が欲しくなる季節でもあり、いにしえの人々の気持ちをたどることにしました。

文教堂のカバーのついた岩波文庫の「古今和歌集」の離別歌をめくりました。

平安時代も江戸時代もまた現代も、見送るひとと見送られるひとの気持ちは変わりません。今回の和歌にもそんな気持ちの交換がみてとれます。

原稿を書いているうちに、芭蕉の「奥の細道」が思い出され、書き加えてしまいました。昔のひとの旅も、自発的な旅とひとから頼まれた旅があるようです。

ひとから頼まれた旅は、きっとメールなどない時代ですから、言づけを頼まれたり、ものを届けるのを頼まれたりすることもあったでしょう。そんな旅は、途中でやめたくてもできません。用事を済ませるまでは帰れません。

自発的な旅は、気分が楽でいつでも止められます。

今回の歌の詠み手の源実さんはどっちの旅だったでしょう。

ことばをそのまま受け取れば、行くのがつらいから帰ってしまおうとなりますが、そこは芭蕉的な感慨を読み取りたくなります。

そもそも大勢の見送りがあるということは、ひょっとしてもう会えないか、長い間会えないことが前提です。行くのがつらいから帰ってしまおうという気持ちは見送りの別離の念を受けた感情です。

帰りたいのはやまやまだが、自分で決めた旅なんだからという思いがある。

そう簡単に初心は曲げられないという思いがあるはず。

芭蕉は、済んでいた住居をひとに譲り、旅に出ている。

もう帰れないことを前提に江戸を出ている。

原稿も、老荘的な人生への覚悟を絡めて、綴っています。

折りしも衆院選が決まり、民進党の分裂が「ひとやりの道」で余儀なくされました。

民進党の面々がこの歌を詠んだときどのような思いになるのか、想像してみました。

政治とは、「ひとやりの道」そのもの。自分の都合で解散できるのは総理のみ。

「ひとやりの道」のなかで、どう選択して政権をとるかが政治家なら、選んだ道を曲げずに、有権者に問うのが選挙。 死出の旅になるか、希望の道に至るかは、自分しだい。選択した以上は徹底抗戦と、チェゲバラの気持ちで選挙を戦ってほしいとの思いで締めました。

TaoChat@880編集後記

今週の出来事を振り返ると、トランプ米大統領国連演説で、北朝鮮への経済制裁を断固実行する意志を明らかにし、日本では安倍首相が衆議院を解散し、選挙を行うと発表しました。仕事人内閣を発足させたのは8月頭ですから、仕事人に仕事をさせずに選挙するのは、横暴さが目に付きます。

狙いは、消費税増税憲法改正のため、国会で多数を占めるためと想像がつきます。選挙のために、どのような将来展望を語るかわかりませんが、経済優先政策より、この国をどのように再建するかの展望を語って欲しいと思います。

首相就任期間にできることは限られます。自分が選挙民の賛同を得られる期間に、どのような基礎を築くのか、長期展望を語ってもらいたい。

日本の政治家は、目先の票獲得のため、見えている問題の解決策を語って見せます。実際当選すると、党利党略の下で語った解決策など何処吹く風です。

その点で言えば、明治の政治家のほうが、この国の再建のために、心血を注いだといえます。富国強兵し、帝国主義の列強に加わるという長期展望は間違っていませんでした。そのお陰で産業は発展し、戦後の急速な回復をなし遂げられました。

今回のメルマガは、目先のことで思い悩む愚かさを反省し、もっとスケールの大きな見方で今の問題を考え直してみようという、視点で、自省録から言葉を選びました。もちろん、自省録の言葉は、個人的なレベルでの助言ですが、政治家や官僚も、もっと長期的な視野でこの国の未来を考えてほしいというのが私からのメッセージです。

ひとつの例が、アメリカのアル・ゴアです。

彼はアメリカの政治家ですが、情報スーパーハイウェイ構想を唱え、インターネット普及に貢献し、地球温暖化問題を世界的に啓発し、長期的な視野で地球の未来を考えてきました。

このような政治家が日本にいるかというとNOです。

アメリカの協力なしに何もできないというのが、日本の政治家です。

日本を改造していこうと構想を出せたのは田中角栄だけです。

核の傘を乗りこえた防衛論を提案できる政治家が何故いないのでしょうか?

国の借金を先送りして、今できることしかしない。年金負担も、将来の若者に先送りする。

これでは、国民が将来の不幸な子どもを生まないように考えるのは当たり前。

目先のことであくせくする、我々と同レベルの政治家が大半というのが、現状なようです。

非核国家がなすべきこと

日本の非核の道は明らかになった。

もちろん、持たず作らず持ち込ませずは当たり前。

核の傘も捨て去る。

核以外に自国を守る手段を多く持つ。

有効な通常兵器を持つこともあるが、最悪の状況に備えることが必要である。

核攻撃を受けても、被害が最小になるように手立てを打つことである。

国の機能を分散化して、一都市を攻撃されて、国が滅ぶようなリスクを減らすことである。東京の一極集中では、核攻撃で、立法・行政・司法、経済が一度に破綻する。地方に機能分散することは、冷戦時代から言われているが、核の傘のもとで、平和ボケしていて、何も手をつけていない。

少子化の問題だって、こども世代が地方に分散すれば、生活費も安くなり、解決の糸口も出てくる。官僚が東京に集中するから、そんなアイデアも出てこない。

教育の無償化の前、教育の地方分散を考えた方がよい。

非核国家でいくと腹を決めると、いままで見えてこなかった色んな課題が見えてくる。

東京近郊で原発事故が起きたら、エネルギー政策も抜本的に変わったかもしれない。

官僚の目の色が変わらないとこの国はかわらないのは、事実である。

年金支給漏れといった不手際がいまだにニュースになる。

人工知能で置きかえられなければならないのは、官僚の頭かもしれない。

日本の核兵器保有について

物騒な話だが、真剣に考えないといけないことである。

核の傘」といいつつ、破れ傘になっている。

3日前のBSプライムニュースで、アメリカの評論家が面白いことを言っていた。

きわめて的を得た表現をした。

「日本は核を持つことに意味がない」と。

その理由が的を得ている。

「アメリカや中国やロシアは、国土が広いから、1発や2発、核爆弾を落とされても、それに勝る反撃を核で行える。しかし、日本は国土が狭いから数発で消滅するので、防衛としての核は成り立たない。」と。

核による先制攻撃は成り立たない。しかし、防衛としての核も、国土が広く、反撃する能力がないと成り立たない。

つまり、北朝鮮から核攻撃された日本は、核で反撃する可能性はないと結論している。

可能性のないものに、多額の投資をするのは無駄である。

きわめて冷静な判断に感動した。

北朝鮮から核攻撃されたら、骨だけは拾ってやると言われたような感じでした。

迎撃ミサイルのためし打ちさえ、高額で行えないと防衛関連の閣僚が言っていたが、核保有には莫大な経費がかかるとそのアメリカの評論家が言ったので、日本の核兵器保有は無謀であり、狂気の沙汰といえるようだ。これが核保有国のアドバイスである。

そもそも、被爆国である日本は核保有という方針変更ではなく、核の殉教者としての歴史を前面に押し出し、「破れ傘」を捨て去り、核兵器禁止条約にまい進したほうがよさそうである。「核の傘」で守れるのは、反撃が可能な大国に限られる。

保有国からすると、核の傘はそんなに大きくなく、核攻撃から守れるのは自国だけという結論になっている。

アメリカの評論家がさらに言ったのは、核兵器以外に有効な通常兵器はいくらでもあるから、アメリカから買って日本を防衛すればよいとのことだった。

北朝鮮の核保有も容認しかねない態度だったが、核を利用した兵器ビジネスに関心があるようでもあった。

石破さんが、核持込の議論を始めた方がよいと言っているが、核持込は、拳銃の所持と同じで、北朝鮮の核攻撃をうける可能性を増すこと限りない。同じ撃たれるなら丸腰で撃たれた方がよい。非核国家として潔い死に方をした方が、国際社会の同情が得られる。これが核保有国からのメッセージであった。

 

車社会の行く末その5

② 好きなところに行ける。

から話を続けたい。

舗装道路からオフロードに出るには、ジープやピックアップのような車高の高い車が望まれる。水たまりや凹みで、エンジンが止まったり、車体を擦ることがないように。

水上を走れる車や、空飛ぶ車も実際に開発されている。簡単に言えば、ゴーカートにドローンの羽をつければ、空飛ぶ車はとりあえず作れる。

路上に話を限れば、ナビは一応好きなところに車を導いてくれる。

従って目的はすでにかなえられているともいえるが、精度が悪い。道の工事や迂回路にタイムリーに対応していない。車がネット接続されていないので、自分が持っているスマホをナビ代わりに使っているのが現状である。

車の位置がGPS制御されていれば問題がない。メルセデスベンツには盗難用にGPS発信機がついていて、どこに車があるか把握できてるらしい。

このデータが警察で把握できれば、レーダを使わなくても、所定区間での平均速度から速度違反の検挙もできるし、駐禁場所に駐車してることを自動検知できるので、見回りのおまわりさんは不要になる。将来いずれの時期に、車にはかならずGPS発信機をつけることが法令化されるだろう。車のマイナンバーである。

特にEVの世界になると、充電場所の込み具合や、充電時期の警告も、車両ごとの判断ではなく、ネットワークに車が組み込まれ、ネットワークから充電時期と充電場所の指定が受けられ、待ち時間なしに充電が受けられるようになる。

好きな所にいくと書いたが、出版数が増えてくると、どの本が好きかわからなくなるように、どこに行きたいか迷うようになる。

こういうところに行きたいと幾つかの条件を車に提示して、車が、過去のドライブ履歴をネットからひいてきて、ドライバーに提示するようなシステムも求められる。

今回はこんなところで終わりにする。

次回は、③ 環境を損なわない、について述べたい。

TaoChat@879編集後記

台風が近づいていることで今朝は雨が降っている。

今週は、いろんなことが多すぎた。

100mスプリントで日本人初の9秒台が出たのが9/9。

国連安保理で、対北朝鮮制裁決議を全会一致で採択したのが9/11。

北朝鮮のミサイルが発射されグアムに届く距離を飛んだのが9/15.。

何をテーマに書こうか迷ったが、まずは旧約聖書をめくり、言葉を選ぶことから始めた。戦争というのは、近代兵器がものをいう。コンピュータとセンサーで弾道を制御しながら、ターゲットにあてる。まさに、バトルゲームの世界であり、ミサイルを撃つ本人はバーチャルの世界で航跡を追う。

しかし、ミサイルを当てられた現場の人間は、生身の人間で、爆風と炎で生から死の世界に一瞬に追いやられる。人間は高度の脳をもった動物だが、死ぬときは、血を流し、体液を流し、動物として死んでいく。神はいう。戦争がなくても人類は滅びうる。巨大な惑星が地球に衝突すれば、恐竜が全滅したように、人類の歴史も一度リセットされる。何も、人間同士が核戦争で自滅しなくてもよいと。

今回取り上げた「コヘレトの言葉」にはそんな意味がこめられていると感じた。