意がなかなか伝わらない現実

SonetがやっているNURO光の勧誘が3週間ほど前の日曜夜に我が家にあった。

代理店の営業で、それなりに良心的な説明があり、回線速度もフレッツの2倍で、ルーターに高速wifiが付くのですごくメリットがあるという。契約後も、不満ならクーリングオフも可能という。

そんなわけで、その場で契約した。

その後、NURO光の評判をネットで調べたり、今のプロバイダの契約料金や、メアド維持のための費用を考えると、NURO光の魅力が減り、契約をキャンセルすることにした。

その後の顛末が教訓的である。

まず翌日、NURO光のカスタマデスクに連絡し、解約の旨を伝えると、まだ代理店から契約の連絡が届いていないとのこと。

3日後、代理店に連絡して、解約の旨を伝え、担当者から解約完了を告げられて、ひとまず安心。しかし、私が懐疑的なのか、NURO光のカスタマデスクに再度連絡し、解約の旨を伝えると、担当者から解約完了を告げられ、やっと安心できた。

ところが問題はここで終わらなかった。

つい数日前、Sonetから、契約完了の書類が送られてきた。そこには会員番号や回線接続のためのデータが記載されている。おいおい、解約完了じゃなかったのかと憤慨。

再再度、代理店に連絡して、解約完了じゃなかったのかと問いただす。担当者は解約は受理されていますが、契約書類の発行部門は別なので、行き違いがあったかもしれないといい、今回の連絡で、解約完了は確実ですといわれた。しかし、それで安心できなかった。

翌日NURO光のカスタマデスクに再再度連絡し、担当者に解約完了していない旨を告げた。契約書類のデータを担当者に教えると、現在契約中になっていますと告げられ、唖然とした。この連絡を入れなかったら、そのまま工事業者が来て、すったもんだが起きていた。その場で、担当者に解約の確認をとって、契約書類廃棄の旨を告げられ、解約問題は落着したようだ。

今回の騒動で学んだことは、カスタマデスクの対応は非常にいい加減なこと、代理店とプロバイダの連携も悪い。顧客管理はデータベースで行われているが、解約に関しては、OKをもらっても安心してはいけません。何度か確認しないと、安心できません。

代理店には2回確認し、NURO光のカスタマデスクには2回確認し、やっと、契約書類廃棄の確認まで行けた。最後の教訓は、契約済みの消費者の声を聞かずに、簡単に契約しないことである。

TaoChat@903編集後記

今日はひな祭り。

我が家では、超ミニ雛のオンパレード。

ボートの上、トイレ、窓際、壁のあちらおちらに飾ってあります。

GOOGLEにもお雛様が現れます。

今日の言葉は、読書つながりで探しました。

大学生の5割超が、一日に、一度も本を開かないのは、もはや異常な世界です。

大学生には時間があります。

復習予習で本を開くはずですし、たとえバイトをやっても、途中の移動時間や、帰宅後寝るまでに時間はあるはず。

それなのに読書を一度もしないのは、活字が読めない、どんな本を読めばわからない、しか理由が思い浮かびません。

ということで、マルコムXの言葉を選びました。

自由時間が少ないほど、本を読みたくなるのは事実です。

刑務所の中は、スマホは使えないので、本を読むしか時間を過ごせないのは事実でしょう。いくら読書をしても、活字だけ目で追っても、人生を変えるほどにはならない。

読書して、作者(作中人物)の考えをたどっていかないと、意味はない。

どんな状況にめぐり合って、何を考え、どう行動するのか?

そう動くと、状況は好転せずにもっと悪くなるでは?と心配しながら読む。

あるいは最悪の結果になると思ったのに、運命が左右して、予想した結果にはならなかった。 そういった、いろんな思考とともに読書が進む。

それが、自分が同じ状況にはまったとき、落ち着いて思考する余裕を生む。

読書は、それだけ大切な行為となる。

大学生がそのチャンスを見逃している現実がある。

ビブリオバトルという、本紹介を競う大会がある。会社にいたころから、東京の決勝大会に聞きに行っていた。(今は、京都でも決勝大会が開催されている)

どんな本が面白いのか、そこで知ることもできる。

ソクラテスも言っている。

「良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。」

書かれた言葉は、思考の結果選択された言葉である。

「字を読めない」とは、先人の思考を追う能力がないことだと思う。

よい本を読まないと、先人の思考を追う能力を失うことになる。

自分の悩みなんか、先人の悩みに比べちっぽけだと思い知ることが、読書の力である。

自分中心主義のままでは、ひとは成長できない。

東京駅のカオス

通勤途上に東京駅がある。

時間帯によって、東京駅の通路がカオスになる。

通路を通って、ホームに上がるが、通路に人があふれて、ぶつかり合いながら、道を進んでいる。人の流れをうまくコントロールすれば、ぶつかり合うストレスは減るはずである。

ディズニーランドでは、入り口と出口が分かれているので、入場者と退場者がぶつかり合うことがなく、人の流れがうまくコントロールされている。

エアポートでも、飛行機から降りる人と乗る人は完全に分かれている。

東京駅は、ホームから降りる人とホームに上がる人がぶつかりあう。

通路が分かれていないために、このカオスが生じる。

なぜ、人の流れをコントロールしないのか不思議に思っている。

原因は、その発想が明治以来獲得されていないと思われる。

渋谷のスクランブル交差点も、カオスの表象となっている。

外国人には、このカオスが珍しいので、観光スポットの名所になっている。

流れを制御する道路は、ニューヨークのマンハッタンの碁盤目の道路で、一方通行を採用していることに現れている。

日本で人の流れを採用しないもうひとつの理由は、十分なスペースがないためもある。流れは、人同士の譲り合いの精神で決めようという発想である。

普段不思議に思わないと、この状況は永遠に変わらない。日本では当たり前だが、世界に出ると当たり前ではなくなる。

そんな不思議を感じないと、日本の不合理は永遠に変わらない。

 

万年筆の修理

10年使い慣れた、パイロット万年筆を床に落として、ペン先がねじれてしまった。書いてみたが字がかすれてうまく書けない。

直したほうがよいか買ったほうがよいかネットで調べた。

新しいのを買うと8000円程度。ペン先を交換して直すと5000円超。

パイロット本社が京橋にあり、そこの修理部に電話で聞いてみた。

故障の状況を見てみて、最悪ペン先交換だが直せる可能性もある。

だめもとで、今日本社修理部に自分の万年筆を持っていき、見てもらった。

そうすると、1000円で書けるように修理できると診断が出た。

自分で最悪の状況を決めつけて買うより、専門の修理専門家に見てもらうのが一番だと学んだ。

当たり前の結論だが、ペン先の損傷を目前にすると、交換を考えてしまう。

しかし、そこはまずは診断費用をはらっても、専門家に見てもらったほうがよい。たかが万年筆だが、長年連れ添った万年筆で、愛着が強い。

直して使えるなら、長く付き合いたい。

まるで古女房との付き合いに似ているが、できるだけ関係を修復して長く付き合うと、それだけ愛着が増してくる。

今回は、パイロットの修理部門に感謝感謝である。

ものを大事に使うのは、消費者の義務と感じた次第である。

無人タクシー

今朝の日経新聞に、無人タクシーの実証実験の記事が載っていました。

自動運転の先に、無人タクシーの世界がやってくるのはある程度予測がつきます。

深夜タクシーの運転手が、酔っ払いに絡まれて暴行を受けたり、売上金を強盗に襲われたりする事件がありますから、無人になれば安心です。

運転手にとって不安なのは職を奪われることですが、無人タクシーにはまだまだ課題が大きそうです。

呼び寄せは、ウーバーみたいにスマホで、居場所を配車センターに連絡して、呼ぶ事ができます。支払いは現金ではなく、スマホ決済かカードですることになるんでしょう。

無人タクシーはハンドルはなく、乗客が勝手に操作できないような仕組みになっていると思われます。それに、途中で乗客が勝手に降りないように、目的地までは、ドアはロックされるのでしょう。

料金は前払い制でもいいのですが、道路の混雑状況でルート変更もあるので、走行距離の確定は、目的地に着くまでできません。

従って、乗客は目的地まで車に乗せていなくてはなりません。

乗車してからのルート変更を許容するかは、システム次第です。

配車センターは予約に応じて、次の客をピックアップするのに最適な車を配車するので、ルート変更に対応できるかは、システムの融通性に依存します。

大きな問題は、無人タクシーが事故を起こした場合です。

加害事故と被害事故がありますが、いずれも場合も、乗客が負傷した場合の応急措置と賠償問題です。事故現場に判断できる人間がいないので、車に取り付けたドライブレコーダやセンサーをもとに措置を取らなくてはなりません。

こうなると、乗客の心拍数や血圧や症状をセンサーでモニターする必要があります。

個人情報の関係上、ユーザーと契約を結んで、責任関係を明らかにしなければ、乗車できないようになると思われます。

こういった課題をすべて解決しないと実用化はされないので、タクシの運転手が職を奪われるのは大分先になると思われます。

新聞記事ひとつでいろいろ予測してみるのは、なかなか面白いことです。

TaoChat@902編集後記

ピョンチャン五輪もあっという間に終わりそうです。

金メダルを3個も取れて、何とか盛り上がったようです。

スポーツ選手は、結果を出さないと評価されません。

メダルを取れた人はホッとしたことでしょう。

実感としては、メダルに向けた日々頑張った練習の方が頭に残っているのでしょう。

あきらめずにやってきた事が実を結ぶ。

そんなことが選手のインタビューからうかがわれます。

今回は、論語の言葉を選びました。

われわれの殆どが、なかなか実を結ばない人生を送ってきました。

それであきらめていいのか?と孔子は言っているようです。

苗としてスタートしても、芽を出さない人もいる。

芽を出しても、実らない人もいる。

そこで言葉が終わりますが、それであきらめていいのか?と続かないと、身も蓋もない。なぜなら、実らない人のほうが圧倒的に多いから。

ところが、日々の練習で、小さな実は一杯結んでいる。

だから、日々の練習が続くわけです。

しかし、われわれは大きな実を目指しているので、努力が実らないとがっかりするのです。五輪選手なら、メダル獲得です。

人生はマラソンですから、最初から大きな成功を目指すと、身が持ちません。

小さな結実を積み重ねた果てに大きな成功はやってきます。

従って、高齢になっても、日々の努力を繰り返すことは、無駄ではありません。

恐らく、努力の途中で果てることになります。

それでも、人生に後悔しないように生きる事が人間の宿命のようです。

まさに葛飾北斎の生き方ですね。

糖質ダイエット

ご飯好き、麺類好き、ピザ好き、お好み焼き好き、おやき好き、パン好きな自分はとても糖質ダイエットはできない。

昼食で使う食堂で、どんぶり飯を出すので、ご飯食べすぎとなり、この一年で3,4キロばかり太り、先月の人間ドックでメタボ認定を受けた。というか、ここ10年はメタボ認定続きである。

歳をとると、採ったエネルギーはよく身につくようだ。

エネルギーを消費するのは、毎日の通勤と散歩くらいである。

毎日の通勤と散歩は、この一年変わらないので、摂取エネルギーが増えたため、太ったに違いない。朝食はトーストにヨーグルトにコーヒーで固定している。

食堂を使う前は、コンビニでおにぎり2個とサラダを買っていたので、糖質はおにぎり2個の飯だった。それがどんぶり飯になり糖質のとりすぎとなった。

ということで、多少ダイエットして、これ以上体重を増やさないようにするという新たな目標ができた。

母の家系が太り気味の人が多く、自分も気をつけていた。最近身近なひとが、糖質ダイエットで数ヶ月で20キロ減量した。糖質ダイエットしている芸能人はよくいる。米はこの10年食べていないというGACKTさん。肉と大豆と野菜で生命をつないでいる。要は人類が農耕社会を形成し、米や小麦を栽培して、安定したエネルギー摂取を行うことができたという経緯がある。糖質ダイエットは、狩猟社会の食生活に戻ることらしい。食べられるのは、野原の草と森の木の実やきのこ。それに狩りで捕まえた動物や魚。

ハングリー精神旺盛の人間は、糖質ダイエットに向いているらしい。

さて自分はどうしてやせるのか? とりあえず、運動量を増やして、エネルギー消費を増し、どんぶり飯を半分にする日を週2日設けるという策をこの一年続けることにする。一気に制限するのは、リバウンドを生む結果になる。少しずつ減らして、効果をモニターすることにしたい。