今回は、朝一で病院でCT検査を行ったので、翌日の編集後記となった。
CT検査は、内臓の輪切りの写真を撮る為に行うもので、造影剤を血管中に注入する。
生まれてはじめてのCT検査でした。
造影剤を注入するとき、体がふわっと火照るのを感じた。
一瞬不安になり、大丈夫ですかと聞いたら、正常な反応だと検査技師が応えたので安心した。
というか、同意書と一緒に渡された注意書きには、数%の確率で痙攣を起こす場合があるとあったので、大丈夫なのかという気持ちになっただけである。
シェイクスピアの言葉は、スパイスが効いていて、読み手や聞き手に言葉の裏の意味を考えさせる。
「人生は歩く影だ。」というのも面白い。
後ろからろうそくで照らされる影が、シェイクスピアの影である。
ろうそくの炎は風で揺れるから、歩く影も揺れている。
自分の影ですらまともな形をとどめず、光の加減で、ふらついている。
後ろが過去(yesterday)なので、影は未来に伸びている。
影の実体は、哀れな役者である、われわれである。
青年時代は、前途は明るく照らされいるように見える。
歳をとって先が見えてくると、定年後の生活に心配し、未来の光は暗くなる。
光が過去から未来に向かって伸びているというのは、説得力がある。
人間には現在よりも未来を心配する習性がある。
安倍首相は働き方改革で、70歳まで定年を延ばそうと提言する。
年金による支出を減らし、給料からの税金による収入を増やせる狙いがある。
生涯現役という言葉も創り出す。
これは、ろうそくの炎ではなく、サーチライトで照らし未来を多少なりとも明るくすることなのか。
シェイクスピアに言わせれば、サーチライトで照らしても、影は明るくなるだけで、影であることは変わらない。死に向かって一歩一歩歩みを進める影である。
死に近づくほど、体は衰え、年金が多少増えても、購買意欲が湧かないのである。
60歳で行けた海外旅行も80歳ではきつくなる。
つまり、高齢者には、動ける現在という時間が、お金では買えない貴重なものとなる。
動けるというのは、今様で言えば、MOBILEということで、老荘の言葉で言えば、逍遙ということである。
自由に勝手気ままに動ける事を大切にする。
今という時間を、どのように過ごすかが、生きる基本になる。
荘子は、泥中の亀となって生きることを選択した。
たとえ亀となっても、泥の中を自由に這いずり回り、逍遙する。尾を曳いてでも。
日本では高齢者の貯蓄が多いといわれている。
それは、老後のために貯蓄したのはいいが、老後になると、動けず、食べられず、お金を使う機会を失うからである。
それをいいことに、悲しいかな高齢者相手の詐欺が、その機会を与えてくれる。
プラスで浮いた分、必ず、マイナスで引いてくれる力が働く。
死ぬときは、灰に還り、プラスマイナスゼロでおさまる。
人生非常にうまくできている。