Michael Crichtonはジュラシックパークで有名になったアメリカの作家である。
私も好きな作家で、ハーバードの医学部を卒業し、学生時代から小説を書き、映画監督もやっているマルチタレントである。身長は206cmもある大男で、YOUTUBEでインタビューやプレゼンの映像を見ると、知的で落ち着きもあり、やりたいことはすべてやってきて成功を手にした人間のように思う。そんな彼だが、2008年に咽頭ガンで急死した。
彼の生い立ちや日常の姿に興味を持ち、TRAVELSというエッセイを買い、ところどころ読んでいる。
理数のバックグラウンドなのか、英語はシンプルで理解しやすい。
今回はMy Father's Deathの章を読んだ感想を述べてみたい。
Michael Crichtonが休暇をとって英領バージン諸島でスキューバダイビングをしているときに家から急な知らせをもらう。ホテルに戻って家に電話すると父親が亡くなったことを知らされる。それを聞いて、怒りがこみ上げる。こともあろうに、父親の死はオレの休暇を台無しにした。
彼は父親とうまくいっていなかった。
父親との間に何があったかは書いていない。葬式のために実家に戻っても、数日怒りで眠れなかった。しかし、遺体安置室で父親の遺体に会ったとき、He's here. He's hanging around this room.と感じた。自分は決して死後の魂の存在を信じる人間ではない。
しかし、なぜかわからないがそう感じた。
翌日葬儀のまえに再び安置室にいったが、父親はそこにいなかった。He's gone.
教会での葬儀の儀式の最中にも、父親はそこにいなかった。
そして埋葬のあと、墓石を見ながら、父親を探していた。
父親は、儀式の中にはいない。
感じられる人間には故人はいつも傍に居る。
彼は弟に、父親を感じたかと問う。弟は何も感じないと答える。
この話を読んで、精霊を感じるにはこころを澄ませるしかない。
霊の思いを感じ、なすべきことを果たすしかない。