新緑の季節が近づきつつある。
庭の草木の緑が眼にまぶしい。
高齢者ドライバーの事故が跡を絶たない。
高速を逆走、店屋に車ごと突っ込む、駐車場から転落。
皆考えられない事故である。
昨日も悲しい事故があり、平和な家庭の幸せを奪った。
自動車には罪はないが、それを動かす人間次第で凶器に変わる。
老子が生きた時代には、武器が不吉な道具と考えられており、できるだけ使わないように政治が努力することが求められた。
これは今の時代も同じである。
高齢化社会になり、自動車も不吉な道具になりつつある。
鉄の塊を操作する人間が、心乱れて操作を誤れば、平気で何人もの命を奪う。
事故を起こすまで、不吉な道具であることに気づかない。
去年5月には、地元茅ケ崎で、90歳の女性ドライバーが死亡事故を起こしている。
今後、高齢者ドライバーの増加は必至であるから、何らかの手を打たないと、悲しい事故は続く。
老子の言葉は、不吉な道具と付き合うには恬淡であれという。
無理に道具を操ろうとせずに、道具から離れることである。
なまじ、自分の能力を知らずに、操ろうとするから、ブレーキが働かなかったという言葉が出る。
交通の不便な地方なら、やむを得ずつかうこともあるが、都会で車は不要で、必要ならタクシーを使えばよい。
高齢者といえども、己を知らなくては、取り返しのつかない罪をおかすことを肝に銘じておかねばなるまい。