この一週間は、新札デザイン発表があったり、ブラックホール撮影が成功したりで、穏やかなニュースと、ステルス戦闘機が墜落したりと暗いニュースもいろいろありました。
個人的には、腰痛がほぼ治り、体の健康の維持の難しさを痛感しています。
今は、ひざに軽い痛みを感じています。
今、井上靖の「風とう」と漱石の「文鳥・夢十夜」(新潮文庫)を読んでいます。
「風とう」はフビライの日本攻略の話を朝鮮の立場から書いているもので、朝鮮の歴史から朝鮮の考えを知る事ができ、なかなか面白いです。
漱石のほうは、今回のアウレリウスの言葉から連想した言葉を拾いました。
100分de名著を見て、アウレリウスのメモ帳で、後世まで埋もれていたことを知りました。ローマ皇帝なら、教えを説くというような立場ですが、自分の内省録を綴っていたのは、リーダーのあるべき姿を見たようです。
宇宙のなかの人間という視点は、壮大で、しかも、性別、人種、文化を超えた、普遍的な立場です。
そこから見た人間は、当然ながら、宇宙と対峙して、宇宙の秩序と真理に身をゆだねる存在と言えます。100分de名著では、それをロゴスをもった存在といっていました。
老荘思想では、そのロゴスが道になるのかもしれません。
アウレリウスの皇帝の立場からは、自省録のことばと正反対の世界で生きていかねばならなかったのでしょう。しかし、大切なのは、宇宙のなかの人間という視点は、自省録に残した言葉だと思われます。
理想は、近づこうとする意志が続く限り、役割を果たします。
意志なきところに、進展はありません。
宇宙を理解しようとする意志は、ブラックホールの解明、さらに宇宙の誕生と死の理解に向かっています。