何だか今日は蒸し暑く、空はどんよりしている。
SPOTIFYでCelso Fonsecaのボサノバを聴きながら、編集後記を書いている。
ブラジルの青い空を思い浮かべて。
今回は、「老子」から言葉を選んだ。
最初は、「生と死のことば」をぺらぺらめくり、探していた。
しかし、生と死の言葉は重いので、選ぶのに疲れる。
老子の「死して滅びざるは命ながし」があったが、先送りした。
今回の老子の言葉は奥が深い。
一貫しているのは、自然から学び、自らの人生で実行せよということで、それが長生きに繋がるという。
足るを知るは、食べたいのを我慢しろというのではない。
空腹を満たした加減をわきまえるということだと思う。
サバンナのチーターを例に挙げたが、チーターは空腹を感じて狩りをする。
人間も空腹を感じたときに食事をしていれば、飽食にならない。
腹が満たされているのに、もっとうまいものを食おうと美食する。
空腹は、身体がエネルギー補給を求める声である。
それに応じて適度に補給すれば、足るの程度がわかってくる。
足るを知るとは、身体の感覚である。
その声を聞き漏らすから、足るがわからなくなる。
とどまることも同じである。
勢いにまかせて度を越すと後戻りできなくなる。
アルコールの飲みすぎも翌朝に残る酔いは度を越している。
とどまることを教えるシグナルも身体が発する。
会社人間となり、心身を犠牲に懸命に働いても、そのつけはいずれ回ってくる。
いらいらしたり、眠れなくなったり、疲れやすくなったり、身体の症状に表れてくる。
その身体の自然の声を聞き漏らすから、後戻りできない事態に陥る。
自然は、バランスを保とうと必死に引き戻そうとする。
とどまることを教えようとする。
その声に耳を澄ます事が大切なんだと思う。
地球環境が、遠心力と引力のバランスのもとで成立していることをひとは忘れている。
そのバランスは自然界のいたるところで作用している。
人間はそのバランスに支えられて生きていると老子は教えてくれる。