TaoChat@1176編集後記

メルマガを配信した土曜日は多忙であり、編集後記は今日月曜日となった。土曜日は車検の見積もりのため、YellowHatに車を持っていったり、コロナワクチン接種のため、町医者に行ったりで落ち着いてブログは書けなかった。今日は午前中は雨で、午後も曇り空である。この一週間のニュースは、やはり長野県の殺傷銃撃事件である。悪口を言われているという怨みで2人の女性を刺殺し、射殺されるという妄想で2人の警官を猟銃で射殺するという陰惨な事件である。日本では銃の所持は厳格に制限されるが、いったん銃所持者が常軌を逸すると、銃撃で死傷者が増えるのは当然といえる。事件が発生してから、収束するまでいやに時間がかかった感じがする。現場に刺された女性を放置して、犯人の説得工作を続けたのは、被害者の命より加害者の命を大切にする警察の方針があるのかもしれない。犯人が自分の両親を人質にとったという形跡もない。アメリカなら、警官に銃を向けたら射殺は必至で、事件がここまで長期化することもなかったと思われる。警官が防弾チョッキを着ていても、至近距離から散弾で首から上を撃たれれば、即死である。パトカーが安易に犯人に近づきすぎたというのが、敗因のようだ。やはり、日本の警察は銃対応がまだ未熟といえる。個人的な一週間は、「ザーヒル」を読み終えた。失踪した妻エステルの気持ちがわからなかった主人公の作家の愛と人生に対する意識の変容が主題のようである。この変容を主人公の語り口を通して表現するコエーリョの手腕が見所のようであった。

今回の言葉は、ニーチェよりいただいた。「人間的なあまりに人間的な」は新潮文庫版である。大学に入学した年の夏旅行した京都で買ったと本に書いてあった。芥川の「文学的なあまりに文学的な」を読んでいたので、題名にひかれて買ったと思われる。「第二部 漂泊者とその影」にあった言葉である。自然はタオを語る主体だが、外の自然だけではなく内の自然を忘れないようにと、ニーチェは警句する。内なる自然が発する声は、自分の命をつかさどる身体からの警告である。どんなささいな警告も必ず意味がある。その意味を探ることで身体との対話を行なえる。それが命をいたわり、命を支えることになると思えるのである。