TaoChat@1174編集後記

先週のこのブログで地震のことを書いた後、全国各地で地震が続いている。鹿児島だったり、北海道だったり、千葉の木更津だったり。日本では、地震に関して安全地帯はない。今日の天気は一日中雨らしい。メルマガ原稿を書き出し、途中に車で家族を送った後、ガソリンを入れにいったりで、忙しく配信が遅れました。この一週間のできごとは、グローバルには、英国のチャールズ国王の戴冠式でしょうか。チャールズ国王といえば、ダイアナ妃の元夫で、カミラ王妃との不倫関係があったので記憶がある。エリザベス女王が高齢まで君臨したので、チャールズ国王は74歳という高齢になってしまった。日本みたいに生前に皇位継承ができるとよいのだが、英国では死ぬまでできないので、高齢で国王の重圧に耐えられるかちょっと不安である。日本では、相変わらず物騒な事件が続いている。高校生が銀座の時計店で強盗を働いたり、中学教師が老人を殺害したり、秋田ではコンクリート詰めの女性死体が見つかっている。いとも簡単に犯罪を犯す心理はとても信じられないが、これも現実。どうすれば被害者にならないですむのか、学ぶ機会を設けたほうがよいと日頃思っている。論語には、君子あやうきに近寄らずという言葉がある。あやしい人に近寄らない。あやしい場所に近寄らない。あやしい電話はすぐ切る。とにかく深入りすると、もどれないのが、アリ地獄の現実である。

今回の言葉は、論語からいただいた。孔子は下積み生活を続け、春秋時代の各国為政者に政治の基本を遊説した。その言葉が弟子たちによってまとめられたのが論語である。今の時代も、自分の身は自分で守らないと生きていけないという意味では、孔子の時代と変わらない。人民から巻き上げた富でぜいたく三昧をしている為政者もいたことだろう。そういう人間は不遜な態度で孔子を遇したに違いない。他方、地方を旅しているとき、貧困に苦しむ農民は倹約のあまり、孔子への施しを躊躇したかもしれない。そんな経験から出てきた言葉を選んでみた。身の程知らずに思い上がった人間よりも、身の程知って頑なに倹約を押し通す人間のほうが尊いという。宮澤賢治の「雨にも負けず」に出てくるデクノボウを、きっと孔子は、仁と義にあふれる身の程を知った人間とみるだろう。