TaoChat@1168編集後記

週末が雨という日が続いたが、今日は晴れなので、最後の花見に出かけようと思う。桜に関しては、メルマガでも取り上げた。この一週間は、4日仕事に出かけ、読書の時間が減った。結局往復の通勤時間2時間と、就寝前の30分が読書の時間となっている。今読んでいるのは、ポール・オースターの「リヴァイアサン」を通勤時間で、就寝前は、阿刀田高の「やさしいダンテ〈神曲〉」である。「リヴァイアサン」は英語で途中まで読んで挫折したので、とにかく日本語で読もうと思い、「やさしいダンテ〈神曲〉」はとにかく入門書を読んで全体を理解しようと思ったからである。ダンテを題材にした小説を読む前のおさらいをしたかった。世間のニュースでは、ガーシー元議員の除名処分が印象に残る。選挙に当選したあと、一度も国会に出席せず、手当てだけもらって、外野席から好き勝手なことを言っているので、これは言語道断だった。おまけに旅券返納命令まで出され、旅券失効も時間の問題となっている。まさに国外を逃げ惑う立場に置かれている。往生際が悪いとしかいいようがない。4月からの値上げラッシュも家計に響いている。とにかく消費量を減らして、対抗するしかない。

今回の言葉は、西行の歌を選んだ。桜真っ盛りの今、桜の歌を味わうしかないと思った。桜は満開が見ごろだが、散る桜に感慨は深くなる。文学作品には、この感慨を扱ったものが多い。西行の歌も味わい深い。義父の死も桜の季節だった。桜を見るたびに斎場からの帰り道の桜並木を思い出す。弟の葬儀は、梅雨のころで、梅雨に濡れる紫陽花を自宅の窓から眺めた。紫陽花を見るたびに、弟の死を思い出す。このように自然の景色と思い出はセットになっている。思い出は自然の背景とともに記憶される。西行の歌は、彼の見た情景と共に彼の心情が、自分の胸に再現され、記憶となってとどまるのだろう。