TaoChat@1167編集後記

今日も朝から雨が降っている。花粉のことばかり気になっていたが、黄砂も中国から日本に降り注いでいるらしい。車の汚れを見るとたしかに黄色の粉が目に付く。中国の原発が事故を起こすと、放射能に汚染した黄砂が降り注ぐことになるかもと考えるとぞっとする。核兵器だけが汚染源になるのではなく、原発事故も汚染源となるのは福島原発の事故で身に沁みた。ウクライナでは、ロシアが原発を狙っている。チェルノブイリからモスクワまで852キロなので放射能汚染の被害は少ないかもしれないが、隣国ベラルーシュには放射能汚染がおよぶ距離にある。ロシアの同盟国のベラルーシュは怖くないのか不思議である。一週間のニュースは、WBCでの日本優勝と岸田首相のウクライナ訪問で国内は沸いた。岸田首相がゼレンスキー大統領に地元広島の必勝しゃもじを贈ったというのは、今日の「朝まで生テレビ」ではじめて知った。戦争に勝つというよりも、平和のシンボルである何かを贈ったほうがよかったのではと思う。広島サミットが今夏あるのに、G7国でウクライナを訪問していないのは日本だけなので、どうするのか疑問に思っていたが、ようやく電撃訪問で体面は保つことができた。被爆国日本の平和維持活動の役割は大きい。そういえば、先週韓国大統領が訪日したが、まずは定期的に意思疎通を図る道筋を敷いたというのが成果のなのであろうか。しかし政権が変わるたびに約束を反故にする体質があるのは要注意である。

今回の言葉は、禅語を選んだ。書棚にあった「禅語100選」(三笠書房、知的生きかた文庫)をめくって選んだ。春色という文字が季節ともあうので、第一印象もよかった。意味もタオにマッチする自然観で、それをどう拡げて解釈するのかという余地を残す言葉でもある。この本の解説では、格差社会の進行から、平等感から公平感への移行に注目し、この禅語の説明を始めている。人間社会では平等感が行き過ぎると、差別感が芽生える。確かに、運動会で、一等二等の区別をしなくなったのは、公平感の象徴ともいえる。でも自然界では平等と差別が並存する。それを禅語は語るが、それをどう解釈するかに禅語の面白さがある。ウクライナ侵攻作戦で、プーチンは、徴兵した兵士に呼びかけた。人はいずれ死ぬ。戦場で死のうが、退役して交通事故で死のうが同じこと。これで平等感と公平感が得られるとは思わない。禅語でかもし出される、自然界における「縁」を慈しむこころに欠けている。兵士自身がどういう縁で戦場に駆り出されるに至ったのか、その縁が応召の大義になるのだが、ウクライナはそもそもロシアのものという大義に納得感は得られない。人間は、自己の死に直面すると、平等感と差別感が同時に生まれる。プーチンのように、他人(徴兵した兵士)の死を見る目ではいられない。今回の禅語は、自己の死に直面する前に、腹を決めておけというメッセージでもあった。