TaoChat@1065編集後記

新学期も始まって、こころ弾む新入生の姿を車内で見かけることが多くなった。

東京駅でも新入社員の集団を見かけることもある。

きっと配属前の研修の帰りなのかもしれない。東京ではコロナ何処吹く風といった様子である。ワクチン接種はまだまだ接種率が低迷しているが、政府は勢いで五輪を開催し、GOTOトラベルも復活する計画にある。リモートワークを拡充するなどデジタル化に向けた対策は尻すぼみになる心配も出てきた。のど元過ぎれば熱さを忘れるようなことにならなければよいのだが。

自分の仕事に関してはリモートが許されず、毎日7時から5時まで出社して、一年のブランクで抜けた仕事感覚を取り戻そうとしている。デジタル化に関しては、日本は世界の潮流から圧倒的に遅れている。今まで政府がデジタル化を軽視してきたつけを払わされているといった状況である。ワクチン接種の予約を電話で行なっていること事態が前近代的。電話がつながらずいらいらする国民の顔が見えている。ネットで予約して指定された会場に向かえば済むといったシステムがどうして構築できないのかが不思議でたまらない。いまだに電話が支配的なら、回線がふさがり予約すらできず、そのうちあきらめる人も続出する状況は目にみえる。本当にお粗末な国である。

今回の言葉は、今通勤途中で読んでいる鷲田清一さんの本から選んだ。この本は、鷲田さんの言葉を掲載した雑誌から集めた角川文庫本である。

自分も経験があるが、枕元で子供に本を読んでいて、眠っているのに何度も話をした記憶がある。そのときはわからなかったが、こどもにとって話の内容より自分のために時間を割いてくれる声そのものの心地よさを求めているようだ。

だから声が途切れると、その心地よさが中断され、またその続きを求める。

これって子供だけでなく、大人でも同じである。

飲み屋で愚痴を聞いてくれるママさんは、母親の役目をしてくれている。

愚痴をたれる客にとっては、愚痴に応答してくれるママさんの言葉は、内容よりも自分のために愚痴に耳を傾けているママさんの気遣いが嬉しいのである。

いくら商売とはいえ、愚痴ばかり聞かされていてはママさんも大変だが、客にとっては、<わたし>でいられる場所が飲み屋なのである。

鷲田さんは、介護施設でも同じ状況だと他のページで語る。

わけのわからないことをいうご老人にとっても、介護者に内容を理解してもらおうとは思っていない。自分の言葉に耳を傾けていただくだけで、<わたし>でいられる心地よさを味わいたいだけである。断片的な文章だが、いろんな気づきを与えてくれる本であることに間違いはないようだ。