TaoChat@1031編集後記

暑い日が続いている。

さすがに熱気のこもった部屋はつらいので、扇風機を買い求め、気の流れだけは確保し、汗の蒸発による気化熱で体を冷やしている。エアコンは部屋についているが、体温調節機能を自身で働かせないと体調をくずすと考え、我慢できない暑さになればエアコンに切り替えることにしている。

500ミリリットルのペットボトル2本に水道水を入れて、給水だけは常に行なっている。

先週の日曜が長崎原爆投下の日で、今日が終戦記念日である。長崎原爆投下の日は、YOUTUBEで記念式典をライブで見た。黒い雨がどこに降ったかで原爆被爆の認定されることが争われる、黒い雨訴訟が未だに続いていることを知り、驚いた次第である。

戦後はまだ終わっていない。更に今回の訴訟で国は控訴した。決めた領域の中は黒い雨を浴び、その外は浴びなかったなどと、境界線を決めること自体がおかしい。これは福島原発事故で、被爆地域を決めることと同じである。不確かな地域、グレイゾーンも認定して不思議はない。国の控訴により、高齢となった原告にさらに負担をかける事がそもそもおかしい。長崎原爆投下の日の市長のあいさつで、核兵器禁止条約に日本が締結国に入っていない不合理に言及された。原爆を直接体験して、その非道さを一番知っているのが日本である。それが核の傘に入っているという理由でできないというのはおかしい。核の傘のそとに出て、再度落とせるなら落としてみろという気概がないと、国際社会においては、米国のポチになっている印象をもたれてしまう。スイスのように永世中立国の立場を貫くことはできないものか。原爆資料館を訪れたチェ・ゲバラは、君たち日本人は腹が立たないのか?と問うた。今ゲバラが生きていたら、核の傘に入っている日本を見て、君たち日本人は魂を失ったのか?と問うだろう。

今回の言葉は、坂口安吾堕落論から選んだ。戦後、魂を失った日本人の堕落の過程を予見するように思える。米国のポチになって急成長をとげたのと引き換えに失ったものも大きい。最近感じているのが、日本人にとっての神の歴史である。戦前の皇国史観のもとになった、古事記日本書紀をタブー化したのが日本の教育である。天皇が日本国の象徴なら、天皇の歴史はだれもが知り、天皇の意味づけを考える必要がある。

それを避けてきたのが文部科学省である。日本人がアイデンティティを失っているのはこれが原因かもしれない。

安吾さんの言葉は、人間は堕ち続けるということをついてる。

戦中は、何も考えずに、戦時下の人間のいない美しさにただ見とれるばかりだったという。そして戦後は、特攻隊の勇士は闇屋になり、未亡人は新たな面影に胸を膨らませる。ただ普通の人間に戻って、堕落するだけである。

堕ちるということは、早かれ遅かれアリ地獄の穴に向かって、ずるずると堕ちていく状態のように思える。正しく堕ちることが大事だというが、堕ち方の記述はない。自分の頭でどう生きるか考えることしか救いがないような結論である。

戦中のひとが、皇国史観に洗脳されて、何も考えずに戦争の道から原爆被爆の出口に至ったと考えると、この国は同じ過ちを繰り返すおそれさえ感じる。

なぜ戦争に至ったのか、その過程を真面目に教育し、それを繰り返さないように個人が自分で考える事が、正しい堕ち方なのではと思ってしまう。米国のポチを続ける限り、皇国史観はタブー視され、正しい堕ち方はできないようである。