Taochat@970編集後記

梅雨入りして、涼しい朝を迎える日が増えた。

今日も朝から雨が降って肌寒い。

あじさいは、雨にあう花に見える。

こんな日は庭に蛙が出ても不思議ではない。

今日の言葉は、荘子より、蛙の言葉を選んだ。

金融庁の「年金2000万不足」問題が取りざたされている。

麻生大臣は、受け取らないと言っているが、「年金」に関心のない人には言われたくない。一言でいうと、「年金2000万不足」のメッセージは他人事である。

ひと月の生活費はひとそれぞれ異なり、年金の範囲内でやっていける人もいれば、足りない人もいる。足りなければ、生活レベルを落として生きていくか、自己資産を担保に金を借りるしかない。

大切なメッセージは、いくら不足になるかではなく、不足して生けていけなくなったとき、どういう保護を国から得られるかということである。

年金生活者が欲しいメッセージは、年金の範囲内で生きていけますというメッセージです。2000万準備すれば、生きていけますというメッセージではない。

荘子の言葉からちょっと脱線したが、日本の国がおかしなサイクルに入っているという危機感から、蛙の言葉を選んだようだ。

狭い日本社会で問題になっていることが、高負担で問題になっていない国がある。

しかも高負担で国民があえいでいるかというと、皆が幸福感を持っている。

何が幸福かという、人生観や文化レベルの問題になっている。

消費税を10%に上げることが日本では問題になっているが、スウェーデンでは25%にして何の不満もでていない。

自分たちが払った税金が、ちゃんと福祉のために使われるという信頼があるからである。日本の官僚があちこちに厚生施設を作り無駄遣いしている国とは違う。

井の中の蛙は日本のことである。

世界の知恵を単に知るだけではなく、どのように日本のシステム変革に役立てるか、これは実践の問題である。