令和の世になって

4月30日の退位の礼、そして5月1日の即位の礼をTVで見ていて、極めて簡単な礼であることに驚いた。

天皇は確かに国民の象徴であることに違いはないが、象徴の物的証しは、2個のはんこと、3種の神器のうちの剣と勾玉の2個であり、それを所有していることが天皇であることの証しであることをあらためて認識した。

生前退位であったため、国民にわかりやすいように、同日に退位と即位を行わずに、日をあらためて行うといった工夫がなされたと、TVで解説がなされた。

安倍首相から、主権である国民を代表して、平成天皇に感謝の言葉を述べられ、その後に、平成天皇から退位のお言葉があった。

そこには何の宗教色もなく、粛々と、象徴の証しを前にして、国民に寄り添い、国民の象徴としての責務を無事に終えられたことへの感謝の弁は心打つものがあった。

平成天皇は、現国民だけでなく、今の繁栄の礎となった戦没者の御霊に寄り添い、非戦の思いを終始体現されてきた。

戦後世代が国民の大半となり、戦争の悲劇が風化している現在、国民の象徴たる天皇の責務は一層大きくなってきている。

令和の世が平和の世になることは誰もが願うことだが、戦争も災害も忘れた頃にやってくる。日本がどのようにして戦争を起こし、どのように戦い、どのように敗戦に至ったのか、さらにどのように戦争責任を果たしていったのか、悲劇の歴史を学びなおすことが、令和の世に問われることだと思いました。

歴史を忘れていては、本当の平和は訪れない。

先人の失敗を繰り返さないことが、日本を平和に導く。