TaoChat@963編集後記

平成という時代が過ぎつつある。

平成元年が1989年だから、37歳のときである。

仕事に少し自信が持ててきて、思うように働けた30年でした。

1985年より1987まで国外に居たので、帰国後のバブル景気の異常さに面食らった覚えがある。何でそう浮かれているの?という感じだった。

バブルがはじけてから経済は低迷し、経営陣は臆病になり、リスクを犯さずに商機を逸した。 半導体産業は崩壊し、スマホは海外勢に圧倒されて、今に至る。

戦争は起きなかったが、日本人の心が病んだ時代でもあり、大災害により心の結びつきの大切さを学んだ時代でもあった。

人間はいつも自然から、生きる上での大切なことを学ぶ。

2000年以上も前に、老荘思想が自然から学んだように。

今回の老子の言葉は、意味が深い。

完璧なものはどこか抜けている、それでいて、役割はきちんと果たしている。

逆にいうと、完璧に見えるものは役割を果たさず、手を抜いている。

自然というのは予測不能であるが、生命を維持するという役割を手を抜かず、いつまでも果たしている。

平成は思い上がりの時代といったが、完璧に見えるものは手放しに受け入れずに、まず疑えということである。テクノロジーはその一つである。

高齢化社会になり、高齢者は真っ先に詐欺のえじきになっている。

そろいすぎる完璧なストーリーに飲み込まれて、現金をだましとられる。

高齢者に求められる人間像は、抜けているように見えて、役割をきちんと果たしている人間である。

思い上がった人間は、こんな人間にはなれない。

なまじ地位とか権力に溺れた老人が、謙虚さを忘れて、思い上がったうえに、果たすべき役割を忘れている。

そんな悲しい世の中になってほしくない、令和は。