今日は晴れていますが、風が強く、肌寒く感じます。
発行が遅れたわけは、目を覚ましてもふとんからなかなか出られなかったためです。
週末の冬の朝は、暖かな寝床でうつらうつらするのが楽しみです。
清少納言も枕草子に書いていたかもしれない。(勝手な記憶ですが)
風が強いので、凧揚げすれば、きっと高くまで揚がるでしょう。
ということで、蕪村のいかのぼりの句を思い出した次第です。
いかのぼりは関西で使われたそうです。
凧には足をつけて安定にするので、その様子がイカに似ている。
蕪村のこの句を教えてくれたのは、森本哲郎先生でした。
NHKの教養番組で、蕪村を取り上げ、それ以来、蕪村ファンになりました。
いかのぼりの句は、哲学的な意味合いがあると先生は語り、俳句の味わい方を教えてもらったように思います。
蕪村がそこまで考えていたかはわかりませんが、俳句からイメージを膨らませて、作者の心境を読み、そこに自分の経験を重ねて共感するというのは、老境の最高の楽しみ方ではないかとひとり感じています。
混迷し行き場所を失うことを、「糸が切れた凧」にたとえます。
自分の人生を凧にたとえるなら、老荘思想はわたしにとって、「糸」であったようです。道に迷ったとき、道しるべとなる考えが糸の役目を果たします。
人間の理屈を道しるべにすると、価値観の違いで、理屈はいかようにも変わります。
老荘の自然の成り行きを道しるべにすると、理不尽なことでも自然にかなってきます。
自然が人間に災害を及ぼすのを理不尽ということがありますが、自然は人間の理屈を超えたところで動いているので、理不尽は当たり前になる。
凧揚げから老荘まで考えを膨らませるには、編集後記の時間が必要でした。