今年もあと2週間あまりとなりました。
平成最後の年だと思うと、感慨深くなります。
NHK ETVの「100分de名著」は開始当初からずっと見ている番組です。
今回は、スピノザをやっているので、彼の言葉を選びました。
しかしこれはとってつけた理由で、ゲーテ格言集から言葉を選ぼうとして、たまたまスピノザの言葉を見つけたからです。
西洋の神と日本の神の違いはあるものの、それを愛する人間が神をどう受け取るべきかは、西洋も日本も違いはないと教える言葉でした。
というか、論理的に思考した結果と、老子が自然から直観的に学び取った教えが一致したことが興味深かった。
神を愛する者は人間しかいない。
その愛が神に通じれば、神もそれに応えてくれるのが、キリスト教の教えである。
現世で応えてくれなくても来世で応えてくれるのが神である。
それに対し、スピノザは神を愛していいが神からの愛を期待するのは間違いだという。
神を愛することは、見返りなしの愛を抱くことだという。
神を人間に置き換えてもよい。
愛は、無償の愛でなければ、愛とはいえない。
神が人間を愛するのは無償の愛である。
従って、人間も神を愛するときは無償の愛でなければいけない。
道がわれわれを取り扱うときも、虫けらも人間も同じように、えこひいきすることなく生成消滅させる。道のこのような扱いを慈愛なき不仁の扱いだというのが老子である。
われわれ人間もこの道の教えに従い、不仁であればよいというのが老子である。
不仁というのは、仁を捨てるというのではなく、仁へのこだわりを捨てることだと思われる。これは老子もスピノザも同じ考えである。
神自らが、愛を万物に施すときは平等に施すから、愛のこだわりは捨てて、愛を施している。愛を感じるのは受け手の人間で、人間の神や他の者への愛も、そのような神の愛であるべしというのが、スピノザであり老子である。
そう考えると、人間が到達する愛の感覚は、東洋も西洋もないということになる。
人類が、アフリカ大陸で生まれ、東洋と西洋に散らばって独自の文明を築いたけれど、所詮人間の思考の行き着くところはそれほど大差がないということかもしれない。