台風24号が近づいていて、天気も下り坂である。
9月最後の言葉は、最近の体験から老子を選んだ。
身体を無理しても、長続きしない。
アキレス腱を切ったわけでもない。
筋肉の肉離れを起こしたわけでもない。
アキレス腱が踵の骨にくっついている部分を痛めただけで歩けなくなるという体験をした。踵をけられたように、踵が腫れて歩けなくなった。
医者に話を聞くと、その部分が石灰化しているそうだ。
アキレス腱を酷使するとそういう状態になるそうである。
酷使すると、身体はその部分を補強しようとして、セメント補強でもするのだろうか。
思い当たることといえば、階段のぼりの2段とびである。
そんなに酷使しているとは思わなかったが、年齢を照らし合わせるとそうなのかもしれない。
そこで思い出したのが老子のこの言葉である。
大またで無理をして歩いても、長続きせず遠くまでいけない。
歳相応の歩き方があるように、歳相応の上り方がある。
頭では無理をしているとは思わないが、身体が無理をしているという信号を出す。
歳をとったら、身体からの信号に耳を傾ける。
それを思い出させる言葉でありました。
トランプさんの言動をみると、自画自賛は無理をしているように思う。
政治や外交がうまく行っているなら、自分で誉めなくても、世界が認めてくれる。
それがわかっていないから、トランプさんの再選は当然難しくなると、北朝鮮を筆頭に世界は予想している。