TaoChat@926編集後記

昨日高校時代の友人とワインを飲んだ。

このワインはブルガリア産の赤ワインで、美味しく飲めた。

外国ワインといえば、フランス、イタリア、スペイン、オーストラリア、チリ、アメリカがよく売られている。ブルガリアはヨーグルトが有名だが、ワインも結構いける。

ブルガリアルーマニアモルドバと旧東欧は、黒海に面し、ぶどうの栽培に適した気候で、ワインの宝庫になっている。

モルドバのワインは英国王室のご用達になるほど、品質が高い。

旧東欧のワインが日本で飲める時代になったのは、自由化のお陰であろうか。

台風が去った後、また暑い日が続いている。ビールの消費量が増えるかというと、自分は、スコッチや焼酎のソーダ割りやワインを飲んでいる事が多い。ビールの美味しさを忘れたわけではないが、からだになじむ酒となると、ビールはスターターの位置づけだろう。

今回の言葉は、芭蕉の俳句を選んだ。昔の人々も暑さに苦しんだと思うが、それをどう乗りこえ、涼しさを見出したか、俳句に見た。

最上川は、「五月雨を集めて早し最上川」のあの最上川である。

この句の前に、「五月雨を集めて涼し最上川」を作ったようで、最上川には涼しいイメージが付いている様である。最上川が運ぶ涼しい風に吹かれて、暑い一日の終わりを見送っているのかもしれない。ものの本には、「暑き日」を暑い太陽と考えるのは間違いだというものもある。でも確かに日が沈む様を見て、赤くなった火の玉が海に運び入れるのは最上川のようだと感じても不思議はない。

太陽とともに、その太陽がもたらした暑い一日をまとめて、海に入れ込む。

そんな画を船の上から想像したのかもしれない。

いずれにしても、クーラーも扇風機もない時代に涼しさを感じるのは、自然の変わり目しかない。暑い日がかげるか、風が汗を乾かすか、夕立で雨が熱をさますか。

その変わり目に、芭蕉は句の中に涼しさを凝縮した。