猛暑の中、通勤していると暑さでもうろうとする場所がある。
ひとつは地下鉄のホーム。
もうひとつは、地下の歩道である。
どちらも地下で地上の暑さからは隔離されていると思われるが、熱気が地上から吹き込んでくる。その熱気で一瞬もうろうとする。
西日本の水害や土砂崩れで、猛暑の中、復旧作業をされている方々には本当にご苦労様と申し上げたい。私が感じている暑さは日向の暑さに比べたら足元に及ばない。
今回は論語から言葉をいただいた。
遠くを考慮していないと、近くに憂いを生じる。
人間は自分と関係ないと思うことには楽観的でいられる。
2013年に隕石がロシアに落ちたことがある。
実際に隕石を見た人は、巨大な火の玉が落下するのを見てこの世の終わりかと思った。
そのニュースを聞いた日本人はまさか日本に隕石は落ちることはないと楽観的に考える。隕石がいつ落ちるか予測できないので、日本に落ちても不思議はない。実際には、小さい隕石は、日本のあちこちに落ちているらしい。家の屋根を突き抜けた隕石を見て
どうしようもない自然の脅威を再認識する。
遠くでおきた事件や事故は他人事である。
しかし、それがめぐりめぐって身近に及ぶことがある。
その例をメルマガで考えてみた。
考えてみれば、日本の民主主義というのは危ういことがわかる。
自分の一票が政治を変えることなどないと投票に行かない。
投票する人で政治が決まるから、国民の選択は、ボディブローのように悪政となってあとから国民の首を締め付ける。
誰を選ぶかで、政治がこうも180度転換する例をみたことがない。
地球環温暖化は気のせいといい、イェルサレムに大使館を移してパレスチナ問題を蒸し返す。
遠くを見て、今を考えることをしなければ、いきあたりばったりの政治とそれをささえる民主主義が残るだけである。
日本の民主主義の弱さは悪政にNOという力だと思われる。
海外で日常的に行われているのは、悪政にNOという声を公に届けるデモであり、それを行う民衆力である。