4月の気候は好きである。
花があちらこちらに咲き乱れ、カラフルな町並みが見られる。
最近も夏日の日もあるくらいで、もう少し日差しがやわらいで欲しい日もある。
花粉症なので、花が微粒子に敏感となる。
電車で冷房が入ると、天井のファンからダニや見えない粉塵が舞い降りる。
途端にくしゃみが出る。
4月にしては症状がいつもよりひどい。
今日は菜根譚を選んだ。
成と生の対句になった言葉だが、あえて始めの方の成の言葉をとった。
それだけ読むと、何と空しく響く。
どうせ、いつかは壊れるものだから、必死に作る気持ちは強くはならない。
でも日常を見回せば、人間の活動なんて殆ど無駄に壊れるほうが多い。
恋だって、成就する恋のほうが少ない。
でも恋をあきらめるかというか、そうではない。
恋を育てるプロセスのほうが楽しいのではないか。
でも自然界では、つくったものは必ず壊れていく。
生物は寿命を迎え死にいたり、土に帰って生命を生む。
一見ネガティブに見えた成の言葉がポジティブに見えてくる。
自然界では当たり前のプロセスが、人間界に入ると、自分の作ったものとか命が保存されることを願うようになる。
人間だって、自分で自分を作ったわけではない。
作られたものである。それが、なくなることを恐れ、思い惑う。
それを教える菜根譚の言葉である。
始めの成の言葉は、それを教える導入部だった。
人間を作った自然の立場で、人間を表現している。
それに気づくまでの過程がメルマガの内容となった。
考えるプロセスを書いているので、毎号が中途半端で、始まりと終わりが食い違うこともある。この不出来はご容赦お願いします。
考える葦は一生続くので。