TaoChat@910編集後記

4月の気候は好きである。

花があちらこちらに咲き乱れ、カラフルな町並みが見られる。

最近も夏日の日もあるくらいで、もう少し日差しがやわらいで欲しい日もある。

花粉症なので、花が微粒子に敏感となる。

電車で冷房が入ると、天井のファンからダニや見えない粉塵が舞い降りる。

途端にくしゃみが出る。

4月にしては症状がいつもよりひどい。

今日は菜根譚を選んだ。

成と生の対句になった言葉だが、あえて始めの方の成の言葉をとった。

それだけ読むと、何と空しく響く。

どうせ、いつかは壊れるものだから、必死に作る気持ちは強くはならない。

でも日常を見回せば、人間の活動なんて殆ど無駄に壊れるほうが多い。

恋だって、成就する恋のほうが少ない。

でも恋をあきらめるかというか、そうではない。

恋を育てるプロセスのほうが楽しいのではないか。

でも自然界では、つくったものは必ず壊れていく。

生物は寿命を迎え死にいたり、土に帰って生命を生む。

一見ネガティブに見えた成の言葉がポジティブに見えてくる。

自然界では当たり前のプロセスが、人間界に入ると、自分の作ったものとか命が保存されることを願うようになる。

人間だって、自分で自分を作ったわけではない。

作られたものである。それが、なくなることを恐れ、思い惑う。

それを教える菜根譚の言葉である。

始めの成の言葉は、それを教える導入部だった。

人間を作った自然の立場で、人間を表現している。

それに気づくまでの過程がメルマガの内容となった。

考えるプロセスを書いているので、毎号が中途半端で、始まりと終わりが食い違うこともある。この不出来はご容赦お願いします。

考える葦は一生続くので。