TaoChat@908編集後記

4月初のメルマガである。

こちらは桜の季節は終わってしまったが、蕪村の句で日本人が感じる桜をお届けした。

戦時中は、「散る桜」は国のために命を捧げる軍人を思い出させた。

桜は、日本の国花であり、日本人の心の中にある特別なイメージを想起させる。

義父が亡くなったのも、桜の頃だった。

葬儀場からの帰り道、桜並木がきれいだったのを覚えている。

悲しみとともに、桜の散るように旅立ったとぼんやり思った。

最近、闘病中だった、高校のクラスメートの女性が旅立った。

卒業後、同窓会開催に永年お世話をしてくれた方である。

桜がきれいと近所の公園に花見に出かけて帰って来たところに訃報のメールが届いた。

桜の頃の死は、花とともに旅立つ方を見送るという思いを起こさせる。

桜の木は人間よりも長生きする。

毎年人間の死を美しい花で見送ってくれる。

蕪村の句は、風に散る桜と無風でも散る桜を詠う。

風があってもなくても、美しいのは「散る桜」である。

国があってもなくても、美しいのは「散る桜」である。

どうしてか考えると、自然は常に移ろい、美しさを再生するからと気づく。

「散る桜」をひとに置き換えると、ひとは限られた期間しか生きることができないが、その中で精一杯生きて、次の世代に何かをバトンタッチして、再生していく美しさといえるのではないか。

東日本大震災からの再生も、「散る桜」の繰り返しの果てに成し遂げられるのではないかと思ってしまった。