メルマガが900号を超え、1000号に向け気合が今一度入りました。
創刊したのが10年以上前なので、よく続いたなと自分でも驚くほどです。
その理由を考えると、老荘思想によるところが大きかったと感慨をあらたにします。
老荘思想の基本は、自然にならい、決して気張らず無理をしないことです。
それが、毎週土曜にささやかな文字数の原稿を書き続ける基本姿勢のもとになりました。それに毎回老子や荘子では飽きるので、なんでもありの言葉をお届けするように心がけました。
今回は、ゲーテから知恵をいただきました。
カエルの言葉から、芭蕉の句を真っ先に思い浮かべました。
そうだ、芭蕉さんも、耳にしたのは、カエルの声なんだ。
そこからイメージを膨らませ、古池のカエルを連想し、池に飛び込む音まで聞こえました。カエルの声が聞こえるなら、水があるに違いない。水かあるなら、古池と名月かというようにイメージが膨らみ、カエルがそこに飛び込む動きを音にして加えた。
そうなると静止画ではなく動画の世界となる。
とうのゲーテさんは何を言いたかったのか?
ネット検索して、この言葉を取り上げている人が結構多いのを知りました。
必要条件と十分条件。高いものがいいのものとは限らない。しかし、いいものは高い。論理学ではそうなりますが、ゲーテさんは、この言葉でなにかを語りたかったに違いない。
水のあるところにカエルがいるとは限らない。
自然の神秘に気づく人は数少ない。
まだまだ気づかれない自然の神秘はあまたある。
カエルの声が聞こえる所には水がある。
自然の神秘に気づき始めた人は感動の声を発する。
きっとそこには、姿を現し始めた神秘があるに違いない。
IPS細胞の発見はそういった水に思えます。
からだのいろんな細胞に分化するおおもとの細胞。
STAP細胞になると、カエルが水を見誤ったケースです。
ゲーテさんの前提は、カエル自らが、神秘に気づく好奇心と感性と観察力を備えることなんだとと、今回の言葉をかみ締めてわかった次第です。