後継者

優良企業を見ていると、後継者がいそうな企業と、いなさそうな企業がある。

後継者がいなさそうな企業は、今の経営者のリーダーシップが強すぎて、下が皆イェスマンになっているケースである。

例をあげるとソフトバンク孫社長の次はいない。孫社長が消えれば、経営は縮小する。ソフトバンクはそもそも投資会社なので、個人的な手腕に負う所が大きいのは事実である。

他には、富士フイルムの古森会長。こちらは数日前の日経新聞にインタビュー記事が出ていた。それによると、古森会長は、後継者は育てるものじゃなく、這い上がって来る者だという。運動部の哲学を全うしている。これが青学の駅伝チームの監督になると、やはり育てるものだというんじゃないかと思われる。

軍隊でも企業でも、兵卒を扱うには、アメとムチを両方を使うというのは孫子の教えるところである。ムチをつかって這い上がってくる者をふるいにかけるというのが古森会長のやり方。これをやると、這い上がってくる者は上司の目の色をうかがって、気に入られるように振舞う。その結果、自分をこえる経営者は出てこない。前の経営者の手法をそのまま踏襲して、挑戦する姿勢は期待できない。

富士フイルムの現社長は、会長のロボットにすぎない。

アメを使いすぎると、部下は目を盗んで不正を行うことになる。今回の子会社富士ゼロックスの海外での不正会計は、その結果だと古森会長は考えた。

アメを使おうがムチを使おうが、現経営者が将来を託すことのできる後継者を育てることは、事業継続性にとって必須である。不慮の事故で自分が死んでも、何事もなかったように事業が発展することが求められる。

あの社長や会長が突然なくなったら、現経営陣はあたふたするだろうなと思われる会社は何社かある。ワンマンであるほど、それが消えたら、残された人間があたふたする。

戦国時代を見れば、家督争いがいきなり生じる。後継者を決めずに手腕をふるったつけが死後に回ってくる。

後継者に自分のイェスマンを選ぶと、その場しのぎで終わる。

後継者は、自分を乗り越える手腕を持たないと、会社の将来性はおぼつかない。

古森会長自身が、前社長を乗りこえて、フィルム事業からの脱皮を図った。

しかし、日経のインタビュー記事を見ていると、80歳を超えてもマネージメントをやるという。自分が命ある限り経営に関わると宣言しているようで、死んだ後どうするということまで見据えていない。運動部ののりで、バイタリティある奴は、自分と同じように何もしなくても這い上がってくるという哲学である。

これが功を奏するか、最後を見届けたい。

老荘の哲学からすると、バトンタッチで会社は存続する。おれの貢献だと主張しては、バトンを受け取るものが受け取りづらくなる。おれの貢献は無のようにいって、バトンを渡した方がよい。受け取る人はその姿を見て、自分もそれにまして少しは貢献できそうだと考える。

ワンマン経営者は、自分がバトンを受け取ったときのことを思い出すべきである。

前の社長は自分を育てたから自分を社長に抜擢してくれたのであり、自分ひとりの実力で地位に就いたわけではないことを。