今朝は本当に寒かった。
大学入試センター試験の頃は、毎年雪が降り、一番寒いような気がする。
今回は、NHK大河ドラマ「西郷どん」が始まったので、それに合わせた。
薩摩弁はなかなかいいなと思う。
方言が聞けるのも、大河ドラマの良さかもしれない。
西南戦争では、負けるとわかっていても、命を張って士族の主張に筋を通した男らしさである。太っ腹と薩摩弁がよく合う。
征韓論では、朝鮮開国を軍隊派遣をもってする板垣退助の意見に反対したのが西郷である。自らが全権大使として朝鮮に赴くと主張した。
「それは早急に過ぎもす。軍隊を派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。(中略)ここはまず、軍隊を派遣することは止め、位も高く、責任ある全権大使を朝鮮に派遣し、公明正大に朝鮮政府を説くことが一番の良策であると思いもす」
それなのに、西郷が西南戦争で自決したあと、板垣退助の意見を西郷の主張にすりかえられた。こんな経緯もドラマでやってくれるとうれしいのですが。
それはさておき、「南洲遺訓」には道に関する名言が多いんですが、道を進むときの心得として、過ちのあとの心の切り替えの言葉を選びました。
自分でやっちまったと気づくことは誰にでもある。
その後の対応が人間の器を決める。
西郷の器はあくまでも大きい。
こわれた茶碗をいつまでも直そうとうじうじする。
それは小さい器のひと。
西郷さんは、前向きに、気持ちを切り替えて将来進むべき道を進む。
過ちを忘れるというのではない。
過ちを繰り返さないように道を進む。
隣の韓国ではいまだに銅像まで作って慰安婦問題を問題視している。
日本は過去を反省し、誠意ある対応をもってこの問題に対し、二国間協定で決着を見た。
国と国の約束を反故にする国は国の体をなさない。
北朝鮮への制裁も大事だが、韓国への教育も大事である。
このような狂気を許さない毅然とした対応が今後も求められる。
日本という国がお人よしと呼ばれた時代は終わった。
米国に対しても、在日米軍の航空機が部品を落としても、遺憾のコメントを続けるだけでは不十分である。
地位協定を見直すことも、過ちの後の第一歩になるはずである。
西郷さんの言葉で言えば、何かがおかしいと気づく事が第一歩。
おかしいおかしいといいながら次の一歩を踏み出さないのが、割れた茶碗の破片を集めて直そうとする人間。
おかしいと気づいて、地位協定見直しに進むのが、過ちを繰り返さない人。
憲法改正でも、自衛隊という軍隊を持ちながら、兵力を持ちませんと憲法にうたうおかしさを今も続けている。戦争を繰り返さないために、何を憲法でうたうべきか考える時代にもう来ているのではないか。
西郷さんの言葉が身にしみている今日この頃である。