TaoChat@890編集後記

昨日は新大久保の居酒屋で最初の忘年会を2人でやりました。

新大久保は新宿の隣駅ですが、ホームが狭く、しかも町がごちゃごちゃしていて、都会の駅とは違う雰囲気があり、面白い町です。駅の近くに昔ながらの居酒屋があり、昨日は九州の酒とがめ煮やからしれんこんを肴に飲みました。

そのため原稿を書き始めたのが8時過ぎで、発行が遅れました。

師走になると、いつもこの一年何とか乗り切りったなという感慨を抱きます。

2ヶ月前に知り合いの奥様がくも膜下で急死され、死は突然訪れるものという実感を新たにしました。お歳は私より3つ下で笑顔の美しい方でした。

昨日まで元気であったのに、今日はもう帰らぬひとになっている。

あまりに突然なので、亡くなったことが実感として受け入れられない。

そこで、死に関する言葉を、最近購入した「生と死のことば」より探しあてました。

「抱朴子」は、西暦283-343年に生きた葛 洪(かつこう)が書いた本で、神仙思想を説いたとWikipediaにありました。

いつ死ぬかわからないから、心配なく暮らせる。

確かにそうかも知れない。

しかし、死刑囚はいつ死ぬかわからないから、死におびえて過ごす。

人間なんて、皆死刑囚じゃないか。

と考えると、死におびえることもなくなる。

わたしの場合だと、今65歳なので、平均的に生きれば、死刑執行はほぼ20年後である。

しかし、いずれ死ぬのはわかっているが、明日死ぬとは思っていないので、今日と同じような明日がくると予想して、いつも通りの暮らしを続けている。

そこには、今日に対する重みが抜け落ちている。

明日もまた隣には女房がいて、同じように飯を食べて、同じような会話をして、死までの20年を送ると考えてしまっている。それがある日、突然女房が消え、ひとりだけの生活が始まる。孤独感が襲って、今後どう暮らしていこうか心配が募る。

「抱朴子」の言葉に、どうしても逆説的な意味を汲み取ってしまう。

いつ死ぬかわからないから、心配はなくなる。

自殺者にとって、今死ぬから心配がなくなる。

わたしのように自殺できない人は、いつ死ぬかわかったとしても、心配する暇はない。

死ぬまでにどう生きるか、真剣に考えないと後悔が残る。

突き詰めれば、心配する時間があったら、やるべきことを今することに当てる。

あとに残された者の生活を心配しても始まらない。

あとに残された者は何とかして生きていけるものである。

老荘思想では、死は永遠の別れではない。死は生をもって引き継がれる。

死後の肉体は大地に帰り分解され、別の生命の構成物となって生かされる。

食物連鎖がその証である。

鳥葬はひとの屍を鳥のえさとして葬る。

いつ死ぬかを心配するどころか、死ぬことも心配の対象でなくなる。

死ぬ事が自然界のサイクルのひとつとして考えている。

老荘思想は、いつ死ぬかわかったとしても心配はないと考える。

仏教思想は、いつ死ぬかわからなくても心配は消えないと考える。

死以外に病気、老齢、苦しみが心配の種となるからである。

「抱朴子」の言葉から汲み取りたいのは、いつ死ぬかわかった場合どうするかである。

いつ死ぬかわかったときは、いつまで生きられるかわかったときである。

残された時間を無駄な心配に費やすのか、あるいは、今でしかできないことに費やすのか、落ち着いて考えなさいということである。

とするなら、いつ死ぬかわからなくてのほほんと暮らすより、いつ死ぬか覚悟して、今を有意義に生きる方がずっといい、と「抱朴子」は教えているようである。