先週末、旅行に出かけてしまい、編集後記を書きそびれた。
今回は、ラッセルの言葉を選んだ。
ラッセルの幸福論が100分de名著でやっているので、いい言葉がないかネットで調べた。挙げた候補は、今回の言葉のほかは、
1. War does not determine who is right - only who is left.
2. I would never die for my beliefs because I might be wrong.
3. Life is nothing but a competition to be the criminal rather than the victim.
4. Most people would sooner die than think; in fact, they do so.
5. Democracy is the process by which people choose the man who'll get the blame.
1は、北朝鮮への圧力強化に結びつく。戦争というのは正義の証明じゃなくて力の証明。生き残るのは誰かを決める。余りにも真実すぎて、シリアスな言葉で控えた。
2は、信念のために死ねない。なぜなら信念は誤るから。キム・ジョンウンに聞かせたい言葉だが、笑いが消えるので控えた。
3は、生きるということは、犠牲者になるよりむしろ犯罪者になるための競争である。生きるということは何らかの罪を犯しながら生き残っていること。競争に負けた者は犠牲者となる。9人の若い男女が数ヶ月の間に殺害された事件が起こっているので、これもシリアスな言葉で控えた。犯人はまさに競争をしているかのように犠牲者の山を築いた。
4は、殆どの人間は考えるより死を選ぶ。実際にそうする。上記の事件は、犯人が死にたい人を募って接触の機会を得た。この言葉も、死ぬ前にもっと考えろと諭すが、現代人には通用しない。考えれば考えるほど、死にたくなる人もいる。
死の一歩手前で引き返すことができないのが、死の怖さなのかもしれない。
生きようと考えることは苦しいかもしれないが、考えなくなると死ぬしかなくなるのが生の厳しさなのかもしれない。ということで、この言葉も最近の事件を想起させるようで控えた。
5は、民主主義の本質であり、誰が責任を負うのか選ぶプロセスが民主主義という。選んだ本人の責任が一番大きいことを忘れるひとへの警鐘でもある。
民主主義がない中国やロシアや中国は、国民は国を選ぶ責任がないから、すべては自己責任になる。これも余りにも実すぎて、シリアスな言葉で控えた。
ということで、減点方式で候補の言葉が落ち、多少老荘的香りがする言葉が選ばれた。
無駄の本質を語る言葉である。